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パチンコ「爆連」後にお金を配り始めたおばあちゃん…そのワケは?

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ホールでおばあちゃんに打つ台を教えたら、お小遣いを貰った話

 実は、昔からずーっと海を打っている松戸檸檬です。どうもこんにちは。今でこそ、海のシマには若者もいるけれど、昔は年配かパチプロで埋め尽くされていた。なぜ、プロが海を好んだかというと、ホールの看板機種が海だったので大切に扱っていたし、演出の時間も短いので時間効率が良かったのだ。

 私はプロでもなかったけれど最初に打った機種だったため、海ばかりを打っていた。そう、食べ物でもハマるとずーっと食べ続けているタイプなのだ。

 年配ユーザーで埋め尽くされた海のシマは色んな人がいて面白かった。しばらく通うといつの間にか常連の輪の中に入って、顔見知りの人も増えた。名前は知らないのに、なぜか家庭の事情を相談されたり、まぁまぁディープな話も聞いたりした。素性が分からないからこそ話せたんだろう。

 私がホールに一番足を運んでいたのは、学生の頃。お財布と携帯を持って、折り畳み自転車に乗ってせっせとホールに通っていた。当時付き合っていた彼氏は営業マンだったので、平日の時間がある時はたまに私の打っているホールに顔を出した。その彼氏はデータを見て台の波を読むタイプで、パチンコにそこまで詳しくなかった私は、彼が言う台をひたすら打っていた。そして、たまたま出していた。

 通っていたホールでも、あの彼が選ぶ台(私が打っている台)は爆発するというイメージが定着し、彼が打っていた後を狙う人もいたほど。ただの偶然でも、重なると真実味が帯びてくる。

 ある時、投資がかさむおばあさんが、どの台を打てばいいか聞いてきた。彼は「保証は出来ない」と断るも、「それでもいいから」とお願いされると、彼は打つ手を止め、適当に台のデータカウンターをポチポチと押して、回転数を見て、「これがいいね」とオススメ台を教えた。 「えー本当に当るの? 当らなかったらおばあさんが可哀想だよ」と彼に言ったが、自信があるような笑みを浮かべていた。

 しばらくおばあさんの台を見守っていると、当ったようだった。しかも確変だ。ほっと胸を撫で下ろし、自分達の台に集中していると、おばあさんは10 数連チャンぐらいしたみたい。

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当り台?でフィーバーしたおばあさんの驚きの行動!

 連チャン後、即ヤメして、高く積み上げられたドル箱を店員に運んでもらっている姿が見えた。遠くのおばあさんの目が合ったので、笑顔で良かったねーと反応すると、 嬉しそうに微笑んでいるのが見えた。

「おばあさん当って良かったよねー」並び打ちをしていた彼と話していると、おばあさんがやってきた。彼に何かを話しかけているみたい。お礼でも言いに来たのかな?と思って見てみると折り畳んだ一万円を彼の手にねじ込ませているのが見えた。

「おばあさん、いらないって。おばあさんが当てたんだから、これは自分で使って」と彼は一万円を返そうとすると、おばあさんは私にも一万円を渡してきた。「えぇー、私は何もしてないですよ。だめだめ、貰えない」「いいの、いいの。教えてくれてありがとう」「だめだってば…」を繰り広げていると、隣に座っていたお姉さんがニコッと笑い「ありがたく、貰っておきなさい」と言い放った。私たちにお小遣いを渡したおばあさんは、満足げにホールを去っていった。

「こんなつもりで教えたんじゃないのにね」「でも、おばあさん当って良かったね」と話している私達の姿を見て、隣のお姉さんは微笑んだ。私はおばあさんから貰った一万円を常連のみんなで分けるべく、サンドに投入しておいた。

(文=松戸檸檬)
<著者プロフィール>
 パチンコ発祥の地・名古屋市出身。ファッション誌の編集者になる予定がパチンコ雑誌の編集者になった事がきっかけで、この業界にズブズブと浸かる。編集者の後、フリーライターを経て、開発会社にてグラフィックデザイナーとなる。パチンコ業界の外側から内側まで経験し、業界で稼いだお金はキチッとホールに還元する清く正しきパチンカー。 

 

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