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パチスロ「0号機をリアルタイム」で打った経験から綴るエピソード!【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』1話:パチスロ0号機―前編】

パチスロ「0号機をリアルタイム」で打った経験から綴るエピソード!【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』1話:パチスロ0号機―前編】の画像1
『パチスロ必勝ガイド』の「ドラゴン広石」さんの連載がスタート!!

第1話 パチスロ0号機【前編】0号機とは?

 当頁に来られた皆様、初めまして。私の名前は「ドラゴン広石」と申します。

 パチmax!さんで活躍中のアニマルかつみ氏、および濱マモル氏と同じく『パチスロ必勝ガイド』という雑誌で長年ライターをやっていますので、もしかするとご存知の読者さんがおられるかもしれません。

 そんな私がアニかつ氏に推薦され、今回からパチmaxさんでコラムを執筆させて頂くことになりました。どうぞよろしくお願いします。

 じゃあ、どんな話を聞かせてくれるの?

 ごもっともな質問です。懐かしい機種の思い出話はアニ氏が得意とする分野ですし、濱氏は旧機種から最新機種、さらには艶っぽい恋バナに至るまで、何でもござれのオールラウンドプレイヤー。そんな方々が執筆されている現場に私が割って入るには、私しか書けない内容のコラムを、読者さんに提供するのがベスト…という結論に思い至りました。

 でまぁ、倖にして私は雑誌で連載を持つパチスロライターの中では最年長。ざっくり言うと年寄りであるがゆえ、アニ氏も濱氏も実戦経験がない大昔の機種、いわゆる「0号機」をリアルタイムで打った経験のある唯一のパチスロライターだったりするんですよ。

 というわけで、まずはその経験を活かして、0号機時代のエピソードを綴っていきたいと考えております。

最初期の0号機は「オリンピアマシン」という名称

 ちなみに、パチスロ0号機とは「昭和60年(1985年)に施行された新風営法より前から存在した回胴式遊技機」のことを指します。新風営法の規則の範疇で開発&製造された機種のことを「1号機」と呼称するため、そこから遡って後付けで「0号機」と呼ばれるようになったわけです。

 ゆえに、当時はほとんどの打ち手が、今と同じく「スロット」と呼んでました(パチスロの呼称は1号機以降)。店内のPOPには「アメリカンパチンコ」と表記されるケースもありましたが、一般客に全く浸透しなかったのは、現在その名称が完全に忘れ去られていることからも明らかでしょう。

 また、最初期の0号機は「オリンピアマシン」という名称でした。これは東京オリンピックが開催された昭和39年(1964年)頃に誕生したことで、それにちなんで命名されたと伝えられています。

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