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私が愛した「西陣さんの機種」にまつわる話を…【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第23話:西陣機種の思い出】

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私が愛した「西陣さんの機種」にまつわる話を…【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第23話:西陣機種の思い出】の画像1

第23話「西陣機種の思い出」

 すでにご存知の方も多いと思いますが、去る3月1日付けでパチンコ遊技機メーカーの西陣さんが現在のパチンコ事業を「廃業」する旨を発表しました。

 プレスリリースは「株式会社西陣、株式会社東京西陣販売、株式会社西陣販売」の3社による連名になっており、製造部門の「株式会社ソフィア」および独立会社の「株式会社西陣アーキテクト、有限会社九州西陣販売」は含まれていないことから、西陣さんの機種&屋号が完全に消滅することはないみたいですけど、かつて平和さん、三共さんと「桐生三大メーカー」と並び称された西陣さんが廃業する旨のニュースはパチンコファンにとって衝撃的で、かくいう私も「おいおい、エイプリルフールには1ヶ月早いぞ!」と我が目を疑ったほどでした。

 いや、正直にいうと「ついにこの日が来たか!」ってのが正解かな。だって、西陣さんがパチンコ業界を強く牽引していた頃の勇姿は過去の栄光に過ぎず、今じゃ大ヒット機種のリメイク機を製造してはコケる…を繰り返しているようにしか見えなかったもの。個人的には羽根モノが衰退した時点で、遅かれ早かれこうなったんじゃないかと思います。

 ただね、私が今こうして「パチンコやパチスロに関する散文」を書きながら生計を立てているのは、若い頃に西陣さんの羽根モノに魅了された経験が職業選択動機の何パーセントかを占めているわけで、物書きの端くれとして西陣さんの廃業は残念でなりません。てゆーか、前回の当コラムで「東京で初めて打った手打ち式パチンコは西陣の機種」と書いた舌の根も乾かぬ内にこれですよ。こういう偶然が重なったのも縁なんですかねぇ…。

 ともあれ、そんなわけで、今回は私が愛した西陣さんの機種にまつわる思い出話を、いくつか紹介していきたいと思います。

古き良き昭和の面影を色濃く残す電役機

 まずは昭和58年頃に私がよく打っていたこの機種から。

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西陣の電役機『エレックススペースライン』。アウト穴の真上にある3色のカラーランプは直上の入賞口に対応しており(入賞時に上部役物が順に一瞬開放)、全てのランプが点灯すると中央の3連役物が約15秒開放して出玉を稼ぐ。(写真は福生のゲームセンタータンポポさんで撮影)

 昭和58年頃に渋谷センター街にあった小さなパチンコ屋さんに設置されており、大学の講義が1コマ空いた時などによく打ってました。実を言うと一度も勝った記憶がないんですが、役物の動きと軽快な効果音が個人的に大好きでしてね。

 そこそこ甘い調整をされていたので、時間潰しで遊ぶのに重宝しました。渋谷には道玄坂下に「柳小路センター」という西陣の機種しか置いてないパチンコ店もありまして、そちらには設置されてなかったので、時代的にはもっと古い機種かもしれません。いずれにせよ、古き良き昭和の面影を色濃く残す電役機でした。

末期には一発台調整を行う店も…

 次は旧要件時代の権利物です。

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西陣の電役機『エレックスサンダーバード』。天横もしくは脇の小窓からカイザーチューリップに入賞すると、中央のラッキーチャッカーに入賞する玉の道ができる。これに入賞すると下アタッカーが一定時間開放して出玉を稼ぐ仕組みだ。(写真は、西陣機種のコレクターとして有名な西陣屋広瀬さん宅で撮影)

 最初に権利物と書きましたが、末期には一発台調整を行う店もありました。と言うのも、この機種は基本的に権利発生とパンクを繰り返すゲーム性なんですが、天横の入賞口を完全に潰し、小窓の下にあるジャンプ釘を真下に曲げれば、それだけで一発台に変身するんです。

 繁華街にあるお店では早い勝負が好まれたため、一発台調整をする店も多かった。私個人としては、権利発生とパンクに一喜一憂できる権利物調整の方が好きでしたが、末期にはほとんどの設置店が一発台として扱っていたように記憶しています。

避けて通れないのが「そっくりさん問題」

 ところで、西陣さんの機種といえば絶対に避けて通れないのが「そっくりさん問題」です。どういうことかと言うと、どこかで見たようなキャラが、おそらくは無許可のまま堂々とパネルに描かれたり、役物に使われたりしてたんです。以下はその一例。

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羽根モノ『ゴング』と『ザ・カンフー』。(写真は西陣屋広瀬さん宅で撮影)

 それぞれ、「エイドリアーン!」と叫びそうな某世界チャンプと、大ヒットした格闘アニメの脇役にしか見えません。今だったら絶対に肖像権問題になりそうな案件ですが、当時はこれが普通にまかり通る時代だったんですね。

 他にも西陣さんの機種には「魔界組」「スーパーブラザーズ」「ベースボール」など、どう見てもモデルがいるよね的な機種があり、実際にベースボールでは肖像権問題が勃発して、後期ロットではセル盤と役物が当たり障りのないデザインに変更されました。さすがにやりすぎたんでしょうね、ええ。

 そして、極めつけがこれ。

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羽根モノ『エレックスD-51』。

 まぁ、何が問題なのかは一目でわかりますよね。セル盤に描かれた幻想的な美女は、とある大ヒットアニメのヒロインそのものです。ぶっちゃけ、銀河鉄道999のメーテルですけど、この作品の原作者である故・松本零士先生は著作権の管理に厳しいことで有名なのに、よく問題にならなかったものだと思います。

 まぁ、当時はまだ宇宙戦艦ヤマトに関する裁判や、槇原敬之さんに訴訟を起こす遥か以前でしたから、さほど著作権に神経質ではなかったのかも知れませんけどね。ちなみに、私は松本零士先生の作品が大好きでして、喜んでこの機種を打っていたクチです。

 そんなわけで、西陣さんの機種で最も好きな羽根モノは何かと問われたら、間違いなく「エレックスD-51」を挙げます。V入賞時に鳴り響く汽笛の効果音が大好きでした。

ドラゴン広石

ドラゴン広石

ドラゴン広石(昭和38年12月生まれ)
平成7年に白夜書房「パチンコ必勝ガイド」編集部の門を叩き、パチスロの知識と経験、目押し力を買われて「パチスロ必勝ガイド」のライターに採用された。リアルタイムで「パチスロ0号機」を遊技した経験を持つ、唯一のパチスロライターである。令和4年現在でライター歴は27年。代表作に「枠上人生」、「浮草家計簿」(連載中)、「回胴絶景」(連載中)など。1日の最大勝ち額~プラス41万3千円(クラブロデオT)、1日の最大負け額~マイナス12万9千円(初代・北斗の拳)。

Twitter:@dragon_hiroishi

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