ぼくらはあの頃、アツかった(1) ~『ダブルチャレンジ』が生み出した切ない人間模様~
2001年の事
スタンリー・キューブリックの映画では月で発見されたモノリスを回収するためディスカバリー号が発射される筈だったその年、現実に起きたのは「米国当時多発テロ事件」と、そして『ダブルチャレンジ』の発売だった。
──どの時代が一番面白かったか。
あまねく総てのパチスロファンにアンケートを取ってみれば、偏差にバラつきはあるものの、きっと回答の三割くらいは2000年から2001年辺りに集中するだろう。
『獣王』や『コンチ4X』『サイバードラゴン』は言わずもがな。『ハードボイルド』に『ドンチャン2』や『カンフーレディ』。さらには変わり種の『ダブルインパクト』や『キワメ』や『フィーバーゴースト』などなど──。
当時のホールにはさながら進化の揺籃……カンブリア大爆発の如く、豊かすぎて誰もついて行けないほど多種多様な台が存在した。
人類の叡智を賭けるが如く生み出される新たなる出玉機構。アイデアを形にし、内規の縛りをくぐり抜けるようにして発売されては消えてゆく新機種たち。
新しい台が出るたび、我々スロッターは鼻息を荒くしてホールへと向かい、そして斬新過ぎるゲーム性に出会っては、その度にシビれたり、ノックアウトされたり、ATMに走ったりしていた。
ツァラトゥストラはかく語りき。人類の進化を司るモノリスは、月の裏のクレーターでも木星のリングの中にでもなく、当時のホールに確かにあったのだ。
さて、『ダブルチャレンジ』(以下、ダブチャレ)はその当時の台の中でも一際異彩を放つ台だった。
長いパチスロの歴史の中でも屈指の名機であるのは間違いないが、好き嫌いがアボガドの如くカパッと割れる台だろう。
筆者は大好物である。アボガドも。そしてダブチャレも。
打ったことがない諸兄に簡単に説明するとダブチャレは「当たりのゲーム数を賭ける事ができる」台だった。細かい話をすると短編小説が一本仕上がるレベルで長くなるので割愛するが、要するに「レバオン一発で20万円勝ちが確定する瞬間がある」台だったのである。そして、これが悲喜こもごものドラマを、全国津々浦々のホールに生み出しまくっていたのだ。