ラニ

史上初めて米国クラシックにフル参戦したパイオニア。なお、その気性は米クラシックに参戦した際、現地から「ゴジラ」と扱われるほど激しい模様。JRAが偉業を称えて、日本の競争だけでケンタッキーダービーの出走権が得られる『JAPAN ROAD TO THE KENTUCKY DERBY』を設立。米クラシックへの道が大きく開かれた。

母が2005年を天皇賞・秋(G1)を制したヘヴンリーロマンス、父が米リーディングサイアーのTapitという日米合同のハイレベル配合。調教師の松永幹夫とこのファミリーは、師の騎手時代に母を天皇賞馬に導いてからの付き合い。主戦は武豊騎手が務める。

2歳9月に迎えたデビュー戦は芝の2000mで迎えたが、4着に敗退。決して悪くはないが、父が米国の種牡馬ということもあって本領を発揮したのはダートだった。未勝利戦とカトレア賞(500万下)を連勝する。だが、3歳初戦のヒヤシンスSで5着敗退した。

しかし、陣営は米クラシックの出走権を懸けて、UAEダービー(G2)に出走するためにドバイへ遠征。ラニがUAEダービーを勝ったことによって、その思いが結実し米クラシックへの扉が開かれた。

日本馬にとって1995年のスキーキャプテン以来となる21年ぶりのケンタッキーダービー参戦。9着に敗れたものの後方から見せ場を作ったラニは、続くプリークネスSで5着、最終戦のベルモントSでは3着と、確かな足跡を残した。なお、日本馬が米国三冠を完走したのは史上初めてである。

迎えた秋、ラニはブラジルC(OP)で復帰して3着。やはり日本のダートではイマイチな存在なのか。今後はチャンピオンズC(G1)が目標となる。

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