JRAイチの「豪快王」小島太列伝。愛人、酒席トラブルあっても名騎手、名調教師の生き様に曇りなし

一つの時代が終わった。
昭和を代表する名騎手であり、調教師としても活躍した小島太師の引退である。
まさに自由かつ奔放、豪快という言葉に相応しい人だったが、調教師になった晩年はその人となりも穏やかになったと思える。とはいえ小島師が築いてきた実績とその存在は大きく、多くの騎手や関係者、そして競馬ファンがその影響を受けていることだろう。
引退日最後の重賞にディサイファを出走させたが、その時にファンから送られた大きな歓声は小島氏が多くのファンに愛されてきた証しでもある。今回は小島師の引退に合わせ、これまでの歩み、実績、豪快な人生を振り返ってみたい。
1947年4月11日生まれ、北海道斜里郡出身の小島太が騎手になったのは66年。日本経済が前年までの不況から回復し、いわゆる高度経済成長期に突入していた時代。同年は競馬人気も急上昇を遂げ馬券の売り上げも過去最高を記録、そんな時代に騎手としてデビューしたのである。この年に行われた第33回日本ダービーを優勝したのはテイトオー。この日本ダービーは今では考えられない28頭立てで行われ、2頭が競走中止、12番人気が1着、18番人気が2着、4着馬は26番人気という波乱のレースだった。
騎手としての同期生には同じく先日引退となった池上昌弘と目野哲也、すでに引退している田島良保、安田富男、平井雄二らがいる。騎手課程修了後は、厩舎実習で世話になった東京競馬場の高木良三厩舎にそのまま所属し、そこで当時1頭しか所有していなかった馬主の全演植(さくらコマース)と運命的な出会いをすることになる。
当時の競馬は尾形藤吉調教師が毎年のようにリーディングを獲得し、66年には年間92勝という圧倒的な成績を記録していた。そんな時代に小島太が父が望んだ尾形藤吉厩舎への所属ではなく、騎乗機会を求めて高木厩舎を選んだのは、この時点ですでに勝負師としての勘が働いたのだろうか。
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