日本史上最強馬・エルコンドルパサーを超えない限り日本競馬に前進はない。「世界史上最高の領域」に踏み入り、マカヒキは日本競馬の「新たなる時代」の扉を開けるか
日本競馬は10年……いや、もう20年近く「停滞」を続けている。
無論、これが極論であることは理解している。声を大にして叫んだところで、まともに取り合う人間などまずいないだろう。
しかし、あくまでも「世界的な基準」という側面において、我が国の競馬は甘んじてその評価を受けざるを得ない。何故なら、日本競馬は20世紀末に出現した一頭のサラブレッドによって、一度そのピークを迎えてしまったからだ。
1999年の年度代表馬エルコンドルパサーの出現によって。
1998年のジャパンC。3歳でジャパンCを制した日本馬はエルコンドルパサーが初である。その際、2着に下したのが前年の年度代表馬エアグルーヴ。3着が同世代の日本ダービー馬で、翌年に天皇賞を春秋連覇することになるスペシャルウィーク。
そして何よりも、そんな日本の競馬史に燦然と輝く2頭の名馬を相手にしながら、つけた2馬身1/2差は実は当時のジャパンCの「最大着差」だ。主戦の蛯名正義騎手は「直線を向いたところで勝てると思った」と語っている。
つまり3歳秋の時点で、すでにエルコンドルパサーは日本では、ずば抜けた存在になっていたということだ。
このジャパンCの『国際レーティング』が示した値は「126ポンド」。これは当時の国内で最強と評されていたタイキシャトルとサイレンススズカの「122ポンド」を大きく上回るだけでなく、世界全体で見ても、その年の英ダービー馬ハイライズの127ポンドに次ぎ、同年の凱旋門賞馬サガミックスと並ぶ世界2位タイという記録である。