菊花賞の記憶~何もかもが違いすぎた馬、ナリタブライアン~
このレースでヤシマソブリンに騎乗していた坂井千明騎手は
「道中はナリタブライアンをマークして、他の馬よりも50mでも多く走らせようと外に振って外側を走らせた。同じタイミングでヨーイドンじゃ勝てないから、絶妙のタイミングで内に入れて早めに抜け出したけど、相手のエンジンが違いすぎた。レースの中でやれることはすべてやったけどすべて無駄だったね」
とレース後に語っており、いかにナリタブライアンの実力が抜けていたかを証言している。
このナリタブライアンの三冠達成はオグリキャップに並ぶインパクトを世に与え、新たな競馬ブームを巻き起こすきっかけとなり、JRAの売上は史上最高の4兆円へと突き進む要因になったといえるだろう。
ナリタブライアンの三冠達成は歴史的快挙であったが、その中で注目すべきは「走破時計」と2着に付けた「着差」だろう。三冠のうち皐月賞と菊花賞でレースレコードを更新し、東京優駿でもレースレコードとは0.4秒差の好時計。着差に関しても皐月賞は0.6秒、東京優駿は0.9秒、そして菊花賞は1.1秒とレースを重ねる毎に着差を広げたのだから、その強さは本物であった。そして暮れの有馬記念でも2着に0.5秒差を付ける圧勝を見せており、ナリタブライアン時代の到来を告げたのである。
明け5歳(現4歳)のナリタブライアンは天皇賞(春)の前哨戦である第43回阪神大賞典を単勝1.0倍の人気に応え圧勝。しかしその後右股関節炎を発症し休養、秋には休養明けながらぶっつけで天皇賞(秋)へ出走したものの1番人気で12着に敗退。続くジャパンカップは6着、有馬記念も4着と1年前とは比べようもない走りに多くのファンやマスコミは落胆した。