「藤田菜七子フィーバー」は何故消えたのか?JRAが日本競馬の未来のために変わらなければならない藤田菜七子という「機会」~2016年競馬界プレイバック1~
実際に中央競馬での初勝利を挙げたのは、翌月の4月10日。すでに同期の多くが初勝利を挙げた後だった。「純然たる男社会」と述べても過言ではない日本の競馬界で単純に女性というだけでも大きなハンデだが、競馬とは関係のない家庭で育った藤田菜七子騎手には競馬界特有の”コネクション”もなかった。
そういった点では同じくデビューからスター騎手として扱われた武豊騎手や福永祐一騎手とはあまりにも大きな違いである。現在の競馬界では、コネクションのない新人騎手はまず騎乗馬を集めることさえ困難な状況に陥るのが当然となっている。それはアイドル騎手として、世間から大きく注目されていた藤田菜七子騎手とはいえ例外ではなかった。
結局、デビュー当初の根本調教師の斡旋による騎乗馬の確保に加え、兄弟子の丸山元気騎手と共通のエージェントを手配するも、根本的な解決にはつながらず。また、藤田菜七子騎手自身も体力面で不安を露呈し、1週間の騎乗を制する動きがあったため、騎乗馬はさらに厳しいものとなった。
競馬は常に着順で優劣が明確となり、勝者と敗者の差が極めて大きい世界といえる。
勝てない、乗れない騎手がいつまでも注目されている世界ではないし、表面的な”結果”だけが届けられる世間ではなおさらだ。12月となった現在5勝、この秋わずか1勝の藤田菜七子騎手は、早くも世間から忘れられた”普通”の乗れない新人騎手になりつつある。
これが「勝負の世界」といえばそれまでだが、率直に述べて藤田菜七子騎手が勝負の世界から淘汰されるべき騎手なのかどうかさえ、実質的に定かではない。何故なら、日本の競馬界には女性騎手におけるスタンダードが、ほぼ何一つ確立されていないからだ。
サッカー、野球、ゴルフ、他にもオリンピックで争われるほぼすべての競技は明確に男女別に分けられ、どちらにも平等のメダルや栄誉が存在する。
だが、紛れもない「アスリートの世界」であるJRAの騎手界は未だ男女の隔たりがない。
例えば男女が交じって戦うことのある競艇の世界では、体重の下限を男子が50kg、女子が47㎏と定め「3kgのハンデ」がつくように設定されている。名古屋や笠松といった地方競馬にも女性騎手を1kg優遇するルール(重賞は適応外)もある。
だが、JRAにはそういった女性に対する恩恵がない、いや、この世界に挑戦する女性をどう扱うかという文化自体がまだ存在していないのだ。