
日本”ダービー”ってなに?JRA以外の地方ダービー、武豊の勝利数、世界のダービー、競馬以外の「ダービーあれこれ」

枠順も確定し日本中で盛り上がっている日本ダービー。しかし、そもそもダービーって何?どういう意味?そう不思議に感じた人も少なくないだろう。
競馬に関わらずスポーツ界で度々聞かれる「ダービー」という単語。競馬のダービーはもちろん、国内ではボートレースや競輪でも使用されているし、海外のサッカーでは「●●ダービー」などで見られるダービーマッチも多い。
そこで日本ダービーをさらに盛り上げるために、この「ダービー」について深く掘り下げあらためて勉強したいと思う。読者にとってもちょっとした豆知識となるはずだ。
ダービーは1780年にイギリス競馬で創設されたダービーステークスが始まりとされている。エプソム競馬場で開催されるため、エプソムダービーやイギリスダービーとも呼ばれており、世界中にあるダービーの中でもっとも歴史が深く権威のあるレースと言えよう。
このダービーステークスは、イギリスのダービー伯爵エドワード・スミス・スタンリーと、イギリスジョッキークラブ会長のチャールズ・バンベリー準男爵、そしてスタンリーの義叔父であるジョン・バーゴイン将軍の3人によって創設された。しかし意外なことに、ダービーよりも先にオークスが作られており、ダービーはオークスよりも1年後に作られたレースなのである。
1779年に創設された3歳牝馬限定レースのオークス初代優勝馬は、前述のダービー伯爵の所有馬。そのオークス優勝の祝賀会で新たに3歳牡馬のレースを作ろうと話題になった際、その命名を巡ってダービー伯爵とバンベリー準男爵が譲り合い、結果コイントスによってダービー伯爵が勝利し、3歳牡馬によるレースの名称を「ダービー」と決定したのだ。仮にこのコイントスでバンベリー準男爵が勝利していれば、「ダービー」ではなく「バンベリー」という名称になっていたのだから、数奇な運命といえるだろう。仮にそうなった場合、日本ダービーではなく日本バンベリーなのだから…。ちなみにオークスの名称はそのアイデアが出された別荘の名前からきているという。そして1780年の第一回ダービーはバンベリー準男爵の所有馬ダイオメドが優勝している。
PICK UP
Ranking
5:30更新「シャフリヤールの激走はわかっていた」本物だけが知る有馬記念裏事情。そして“金杯”で再現される波乱の結末とは?
武豊やC.ルメールでさえ「NGリスト」の個性派オーナーが存在感…お気に入りはG1前に「無念の降板」告げた若手騎手、過去に複数の関係者と行き違いも?
浜中俊「哀愁」の1年。かつての相棒ソウルラッシュ、ナムラクレアが乗り替わりで結果…2025年「希望の光」は世代屈指の快速馬か
- 「3大始祖」消滅の危機……日本で「2頭」世界で「0.4%」の血を残すべく立ち上がったカタール王族の「行動」に称賛
- 引退・種牡馬入りが一転して現役復帰!? 数奇な運命をたどることになった競走馬たち
- 皐月賞(G1)クロワデュノール「1強」に待った!? 「強さが証明された」川田将雅も絶賛した3戦3勝馬
- 「元イエスタカス」ダッシングブレイズ重賞制覇に高須院長も「イエス」!? 名前に翻弄された素質馬の飛躍が話題
- 「世代最強候補」クロワデュノールは本物なのか?ホープフルSで下馬評を覆す最強刺客
- 有馬記念に続き東京大賞典も「記憶力」が決め手…最強フォーエバーヤングから絞りに絞った2点で勝負!
- アドマイヤ軍団が「G1・45連敗」武豊と絶縁し「40億円」と引換えに日本競馬界フィクサーの”逆鱗”に触れた凋落の真相?