JRA川田将雅「ポツン」で単勝2.1倍タガノディアマンテ惨敗……ダイヤモンドS(G3)1番人気も「競馬になってない」
まさに横山典弘騎手のお株を奪う“大胆騎乗”だったが……。
22日、東京競馬場で行われたダイヤモンドS(G3)は、木幡巧也騎乗のミライヘノツバサ(牡7歳、美浦・伊藤大士厩舎)が優勝。単勝325.5倍の最下位16番人気馬の激走で、三連単は355万馬券の大波乱となった。
「ビックリしました。馬には感謝しかありません」
木幡巧騎手にとっては2017年のレパードS(G3、ローズプリンスダム)以来の重賞2勝目。当時も11番人気の大穴を持ってきて話題となったが、今回はそれ以上の“穴男”ぶりを見せつけた。
一方、そんな大波乱の立役者の1人となってしまったのが、1番人気のタガノディアマンテに騎乗していた川田将雅騎手だ。
昨秋3000mで行われた菊花賞(G1)こそ7着に敗れたが、同距離で行われた年明けの万葉S(OP)を3馬身半差の圧勝。この実績が買われ、単勝2.1倍の1番人気に支持されていたのだが……。
「うーん、どうしたんでしょうね……。スタートが一息で後方からの競馬になったんですが、そのまま行き脚が付かず、じょじょに集団からかなり離される展開に。2週目の向正面で集団から10馬身近く遅れていた際は『故障かな?』とスタンドもざわついていました」(競馬記者)
結局、タガノディアマンテは最後方のまま最後の直線に。大外から懸命に脚を伸ばしたが、最後は力尽きて7着に終わってしまった。
この結果を受け、ネット上の競馬ファンも掲示板やSNSを通じ「乗り方があまりに酷い」「あそこから届くわけない」「普通に走れば勝ててたんじゃ?」など、川田騎手の騎乗に対しての疑問が続出……。
中でも多かったのが「横山典が乗ってるのかと思った」という声だ。
横山典騎手といえば、今回のタガノディアマンテのように集団から大きく離れたレースを見せることがある。一部のファンの間で「ポツン」と称される、この大胆な作戦だが、時折横山典騎手にしかできないような豪快な勝利を上げることもあり「天才」と呼ばれる本騎手の“代名詞”として親しまれている。
今回の川田騎手の騎乗は、まるでその横山典騎手のお株を奪うような「ポツン」だったというわけだ。
「苦しい位置取りになりましたが、勝ったミライヘノツバサや2着のメイショウテンゲンも後方待機組。川田騎手の方針自体は間違っていなかったと思います。ただ、さすがにあそこまで離されてしまうと厳しい結果になりましたね。
最後伸びを欠いたのは、左回りも影響しているかもしれません。今回の敗戦は残念でしたが、右回りの天皇賞・春(G1)に向け、次走以降で見直したいです」(別の記者)
レース後、川田騎手は「調教再審査を受けているように、左回りだと右のほうへ逃避してしまって、今日は競馬になっていない形でした」と、東京の左回りに敗因を求めている。
また、この日の川田騎手は3勝を上げ、他のレースでも2着3回、3着2回とすべて馬券圏内に入る準パーフェクトだった。
しかし、ファンの関心が最も集まるメインレースで豪快に1番人気を飛ばしてしまった川田騎手。ここまで35勝でリーディング首位と、飛び抜けた実力があることは確かだが、肝心なレースで不本意な結果に終わることが多いのが玉に瑕なのかもしれない。
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