日本史上最強馬・エルコンドルパサーを超えない限り日本競馬に前進はない。「世界史上最高の領域」に踏み入り、マカヒキは日本競馬の「新たなる時代」の扉を開けるか
だが、この時にはまだ多くの人々がこの馬の”真価”に気付いていなかった。逆に述べれば、当時の日本競馬は、そしてファンはそれだけ世界に対して”初心”だったのかもしれない。
ただ、それだけでエルコンドルパサーを「日本史上最強馬」と述べるのは、いささか乱暴だ。本馬を語る際、切っても切り離せないのが1999年に行なわれた日本競馬史上最長の海外遠征だろう。
1999年5月のイスパーン賞から10月の凱旋門賞まで、約半年に渡るフランスへの長期遠征。この偉業の中、エルコンドルパサーは今なお日本競馬が超えられていない大きな壁を残している。
あまりにも有名な、凱旋門賞2着という大記録だ。
1986年、14着に大敗したシリウスシンボリ以来、実に13年ぶりとなった世界最高峰への挑戦。それは止まっていた凱旋門賞における日本競馬の歴史を再び動かし、そして何よりも大きく前進させた画期的な出来事だった。
現地のフランスメディアが「チャンピオンが2頭いた」と評したモンジューとの歴史的な叩き合い。エルコンドルパサーは3着のクロコルージュを6馬身突き放しながらも最後の最後、半馬身差で敗れた。
その時にエルコンドルパサーが記録した国際レーティングは「134」。国際レーティングの基準は現在では見直されているものの、そのインパクトは強烈である。未だ日本競馬史上、断トツの評価だ。そして、これこそがエルコンドルパサーが未だに「日本史上最強馬」と評される所以だ。