蛯名正義「女王撃破」から11年。アパパネ娘がデビューへ
「最高に、かわいい馬です」
2006年の創設以来、牝馬限定戦だけにG1レースとしてのレベルや格、そしてその存在意義さえ問われかねなかった春の女王決定戦ヴィクトリアマイル。だが、第6回を迎えた2011年は、まさにこのレースができたからこそ実現した歴史に残る一騎打ちだった。
当時の牝馬戦線は例年以上の注目を集めていた。何故なら、前年にアパパネが史上3頭目となる牝馬三冠を達成していたからだ。
アパパネは2003年のスティルインラブ以来、つまりはヴィクトリアマイルが創設されてから初めての三冠牝馬だった。だが、断然の主役として迎えるはずの春の女王決定戦で、本馬は1番人気ではなかった。前年の年度代表馬が出走していたからである。
2009年の春二冠馬であり、古馬になった昨年も牡馬を相手に天皇賞・秋(G1)を制覇。他にも宝塚記念やジャパンC、有馬記念(いずれもG1)で2着となり、年間の連対率は100%。文句なしの現役最強馬として、昨年に続くヴィクトリアマイル連覇を狙ったのがブエナビスタだった。
3番人気のレディアルバローザの単勝が11.7倍だったのだから、2011年のヴィクトリアマイルはアパパネとブエナビスタによる紛れもない一騎打ちだった。しかし、後者が単勝1.5倍であることに対して、前者は4.1倍と両者の間には明らかな期待度の差があった。
アパパネの評価が低かったのは、2頭の積み上げた実績の差の他にもう1つ、あるジンクスがあったからだ。
三冠牝馬は勝てない
1986年に史上初の牝馬三冠を達成したメジロラモーヌ、そして2003年に史上2頭目の牝馬三冠を達成したスティルインラブ。だが、2頭の先輩三冠牝馬は輝かしいクラシックロードとは裏腹に、三冠達成以降1勝も挙げられずにターフを去っている。「三冠牝馬はその後に勝てない――」当時はまだそんなジンクスが残っていたのだ。
実際にアパパネも、三冠達成後の初戦となった前走のマイラーズC(G2)で4着に敗戦。勝ったシルポートから0.5秒も離される完敗だった。
単純に牡馬の壁が厚いという理由もあったが、3歳馬にして世代を制圧するということは、それだけ早期の完成度が求められる。アパパネの母ソルティビッドも、主に2、3歳で活躍した馬であり、その娘もまた早熟馬ではないかという懸念を持たれていた。
だが、このヴィクトリアマイルで見せたアパパネのパフォーマンスは、そういった雑音をすべてかき消すに余りあるほどのものだった。
アパパネとブエナビスタはどちらも末脚を身上とする馬で、レースの大きな焦点の1つはどちらが前に行くのかということだった。一騎打ちの場合、前に行った方は後ろからマークされる形になる分、不利になる。だからこそアパパネの蛯名正義騎手と、ブエナビスタの岩田康誠騎手の駆け引きは、レースの行方を占う上で極めて重要なファクターだった。
そんな中で、強気の選択をしたのは“格下”のアパパネの方だった。大外の8枠から好スタートを決めたアパパネと蛯名騎手は「来るなら来い」と言わんばかりに、ブエナビスタの前に出たのだ。対する岩田康騎手も「敵はこの馬だけ」と迷うことなく、その直後につけている。
「アパパネの後ろで理想的なレース運びができました。前を目標に追い出して、坂を上がってからもグーンと伸びましたが……」
レース後、そう語った岩田康騎手は100点満点の騎乗をしたかもしれない。しかし、あえてブエナビスタの前につけただけでなく、自ら先に動いて押し切った蛯名騎手の騎乗は、パートナー・アパパネの能力を信じ切った120点の騎乗だった。
「自分で競馬を作っての勝利で、非常に価値があると思います。三冠馬は勝てないとか、外枠は不利だとか、いろいろと言われましたが、すべてクリアしてくれました。本当に頭が下がります」
約2年前のデビューから12戦ずっとアパパネの手綱を取り続けていた蛯名騎手に対して、今回がブエナビスタの初騎乗だった岩田康騎手。クビ差という両者の明暗を分けた点をあえて挙げるなら、ジョッキーと馬との信頼度の差ではないだろうか。
「馬を信じて、自信を持って乗りました。(ブエナビスタは)最後『絶対に来る』と思っていましたし、やっぱり来ました。よくしのいでくれたと思います。最高にかわいい馬です」
その後、岩田康騎手とのコンビで宝塚記念を2着、秋にはジャパンCを制して6つ目のG1タイトルを手にしたブエナビスタ。だが、その一方でアパパネは1番人気に推された安田記念(G1)で敗れると、その後は燃え尽きたかのように敗戦を繰り返した。
ヴィクトリアマイル後の戦績からも2頭には明らかな実力差があり、ブエナビスタを1番人気に支持したファンの目は正しかったともいえる。だが、生涯1度の最強女王対決でアパパネが“金星”を挙げられたのは、蛯名騎手の乾坤一擲の騎乗があったからこそだろう。
あのヴィクトリアマイルから11年。この年に騎手を引退し、調教師となった蛯名調教師の元に1頭の2歳牝馬が入厩した。バスク語で「長らく会っていなかった友人に会う喜び」と名付けられたアスパルディーコはアパパネの仔である。
「こういう縁のある血統の馬を預けていただいて、オーナーには感謝しています」
蛯名調教師がそう語った通り、アスパルディーコはアパパネのオーナーでもある金子真人氏からの新米調教師への“厩舎開業祝”に違いない。すでに秋華賞馬アカイトリノムスメを出し、繫殖牝馬としても成功しているアパパネ。産駒として2頭目の牝馬も、いよいよデビューが迫ってきた。
果たして、アスパルディーコは母を超えることができるのか。蛯名正義とアパパネのストーリー第2章が幕を開ける。
(文=大村克之)
<著者プロフィール>
稀代の逃亡者サイレンススズカに感銘を受け、競馬の世界にのめり込む。武豊騎手の逃げ馬がいれば、人気度外視で馬券購入。好きな馬は当然キタサンブラック、エイシンヒカリ、渋いところでトウケイヘイロー。週末36レース参加の皆勤賞を続けてきたが、最近は「ウマ娘」に入れ込んで失速気味の編集部所属ライター。
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