GJ > 競馬ニュース > 満票の年度代表馬が「66.5キロ」で日経新春杯出走…数奇な運命のもとに生まれ、悲劇的な最期を遂げたテンポイント前編【競馬クロニクル 第37回】
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九死に一生を得た母から桜花賞馬が誕生…息子は満票で年度代表馬に。「流星の貴公子」テンポイント前編【競馬クロニクル 第37回】

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「流星の貴公子」テンポイントの誕生と悲劇的な結末

 G1級のレースは2勝しかしていないが、1顕彰馬に選出された優駿がいる。同期の“天馬”トウショウボーイと、また夏を経て急浮上したグリーングラスも加えた3頭で「TTG」と呼ばれて火花を散らし続けたテンポイントである。

 筆者とてリアルタイムで見たわけではないが、毎年の日経新春杯を迎えるたびに、額に大流星を持つことから「流星の貴公子」のニックネームを持った類稀なるグッドルッキングホースだったというテンポイントのことを思い浮かべてしまう。

 テンポイントの物語は、彼が生まれるかなり前にまでさかのぼる。

 1948年、日高種畜牧場で鹿毛の牝馬が生まれる。名をクモワカという。父にリーディングサイアーになったこともあるセフトを持ち、母は米国から輸入されたのち、阪神帝室御賞典を勝った月丘(競走名はエレギヤラトマス)という良血馬だった。

 桜花賞で2着に食い込むなど、トップクラスで活躍を続けていたクモワカだが、思わぬところで災厄を被ることになる。

 1952年の夏、クモワカは熱発するのだが、下された診断は馬伝染性貧血、俗称「伝貧(でんぴん)」だった。いまでも鳥インフルエンザなどで感染した鶏を大量に処分することがままあるのはご存じだろうが、伝貧も家畜伝染病予防法によって感染した馬は殺処分するよう決められており、京都府から処分する旨を通告された。

 しかし、クモワカは日に日に健康を取り戻したため、罹患していなかったのではないかとの憶測が広がった。そのため殺処分は一時延期とされ、京都競馬場の隔離厩舎に留め置かれた。

 隔離厩舎の改築が行われるため、クモワカは移動させられることになり、日本の民間における競走馬生産の草分けである名門、吉田牧場(北海道・安平町)へと運ばれた。そこでオーナーの山本谷五郎と、当時の牧場主である吉田一太郎は、クモワカを繁殖牝馬として繋養することを決め、「丘高」という名で軽種馬登録協会に繁殖馬として申請。見切り発車的に1956年から交配を始めた。

 しかし「丘高」がクモワカであることを見抜いていた協会は「いまは伝貧が陰性でも、再発する可能性がある」との理由で申請を拒否。山本はついに「丘高」ことクモワカと、その産駒の登録を求める民事訴訟を起こすに至った。

 一審は敗訴したものの、二審の審理に入る際、生産者と馬主がクモワカの登録を受け付けないのは不合理である旨の趣意書を提出。そうしたバックアップもあって、協会は「再度クモワカに検査を行い、伝貧が陰性であれば登録を認める」ことを決定。クモワカは検査で陰性となったため、本馬と産駒は無事に登録を受け、裁判は二審を前にして終結。1963年のことだった。

 訴訟を起こすまでにこだわって命を救い、繁殖入りさせたクモワカは貴重な血を繋いで枝葉を大きく広げていった。

 なかでも第5仔のワカクモは桜花賞に優勝する栄誉に浴した。そして彼女が繁殖入りし、産み落とした1頭がのちに天皇賞・春、有馬記念などを制するテンポイント(父コントライト)だったのである。

トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスの「TTG」時代

 テンポイントは1975年の夏にデビュー。函館の新馬戦(芝1000m)を2着に10馬身差を付けるレコードで勝ち上がると、続くもみじ賞(京都・芝1400m)では2着に9馬身差で圧勝。関西の2歳王者を決める阪神3歳S(現・2歳、芝1600m)でも、前半はもたついたものの、勝負所からピッチを上げると、ゴールでは2着に7馬身差をつけて優勝。現在のJRA賞の最優秀2歳牡馬に選ばれるとともに、関西の競馬ファンから寄せられる期待を一身に背負って、関東のエースであるトウショウボーイが待ち受ける翌年のクラシックへと向かっていった。

 来たるクラシックに備えて、テンポイントは関東遠征に向かい、東京4歳S、スプリングSを連勝。ただし、これまでの大勝ではなく、いずれも僅差だったことから、トウショウボーイとの対決は激戦になるとマスコミは予想していた。

 しかし、テンポイントはクラシックを勝つことができなかった。

 単勝1番人気に推された皐月賞はトウショウボーイから5馬身差の2着。のちに体調がすぐれなかったとされた日本ダービーは、東京4歳Sで降していたクライムカイザーの7着。菊花賞は“夏の上り馬”グリーングラスの2着と、善戦するにとどまった。トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスの3歳3強が「TTG」と呼ばれるようになったのはこの頃のことである。

 そして、この年の締め括りに出走した有馬記念も、直線で行き場を失うロスもあり、トウショウボーイの2着。無冠のままに3歳シーズンを終えた。

 翌1977年、4歳になったテンポイントはいよいよ本格化。京都記念(春)から3連勝で天皇賞・春を制して念願のビッグタイトルを手に入れ、続く宝塚記念は意表を突く逃げに出たトウショウボーイを捉まえきれず、3/4馬身差の2着となった。

 秋も好調を持続したテンポイントは、京都大賞典、平場のオープンを快勝。二度三度と煮え湯を飲まされたライバル、トウショウボーイと有馬記念で激突する。これは日本の競馬史に残る伝説の名レースとしていまも語り継がれている。

 レースは3番手に控えたグリーングラス以下を相手にせず、テンポイント×鹿戸明と、トウショウボーイ×武邦彦がお互いを誘い合うように、先行した2頭による“マッチレース”さながらの展開となった。

 騎手の手が動く後続を他所に、引っ張り切れないほどの手応えで2頭は馬体を併せて直線へ向く。

 テンポイントが前へ出るが、へこたれないトウショウボーイがまた差を詰める。痺れるような駆け引きのもとで2500mにわたって繰り広げられたマッチレースは、最後まで勝負根性を見せたテンポイントが3/4馬身差で勝利。6度目の対決にして初めてトウショウボーイを降して栄冠を手にした。

 ちなみに「TTG」の「G」であるグリーングラスはトウショウボーイの直後まで迫る3着まで追い込んでいた(余談だが「TTG」が揃ったレースは、すべてこの3頭の1~3着で決着している)。

 この勝利の強い印象もあって、テンポイントは満票で年度代表馬に選出された。(文中敬称略)

三好達彦

三好達彦

1962年生まれ。ライター&編集者。旅行誌、婦人誌の編集部を経たのち、競馬好きが高じてJRA発行の競馬総合月刊誌『優駿』の編集スタッフに加わり、約20年間携わった。偏愛した馬はオグリキャップ、ホクトヘリオス、テイエムオペラオー。サッカー観戦も趣味で、FC東京のファンでもある。

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