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「オグリキャップ負けた」が話題となった宝塚記念…悲運の鞍上は武豊と同世代、勝ち馬の騎手は後に競馬界から追放のショック【競馬クロニクル 第60回】

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 今回から2回連続で、“名馬の宝塚記念”として、そのエピソードをまとめていく。

 最初に取り上げるのは、平成最大のアイドル・ホース、オグリキャップである。

 1989年の秋、オグリキャップは菊花賞(G1)を制したスーパークリーク、天皇賞・春(G1)、宝塚記念(G1)を制したイナワリン。この2頭と激闘を繰り広げる。

不屈の名馬オグリキャップが演じた激闘

 春を休養にあてて、オールカマー(G3・当時)を楽勝したオグリキャップは、毎日王冠(G2)ではイナワリンとの火の出るような叩き合いをハナ差で制する好スタートを切り、勇躍、天皇賞・秋(G1)へと向かっていく。待ち受けるのは、毎日王冠で“あわや”と思わされたイナリワン、そして天皇賞・秋が2度目の対決となるスーパークリークの2頭。各陣営は、イナリワンこそ気性面での問題のため玉虫色の発言があったが、スーパークリーク陣営は強気そのもの。「負けるシーンが思い浮かばない」とコメントするものもあり、自信のほどを見せつけていた。

 天皇賞・秋は、スーパークリークの独壇場になった。好スタートからゲートを飛び出すとすぐ3番手の好位をキープ。オグリキャップは中団の7番手を追走。イナリワンはやや覇気に欠ける走りで後方の12番手付近で前を追うことになった。

 直線。スーパークリークは内よりからロスなくあっさりと先頭に立つが、追うオグリキャップは前に壁ができたため一瞬追い出しが遅れたのが痛かった。最後はよく詰め寄ったが、クビ差でスーパークリークに凱歌が上がった。また、イナリワンは6着に終わった。

 通常ならこのままジャパンC(G1)へ向かうのがトップホースだが、オグリキャップは何とマイルCS(G1)に出走して、そのあと連闘でジャパンCに臨もうというのだ。

 オグリキャップは道中の走りに精彩を欠いたが、直線に入ると先に抜け出した武豊騎乗のバンブーメモリーを内ラチ沿いから急襲。絶望的な位置からの追い込みだったが、ゴールではハナ差、差し切っていた。「天皇賞に負けたのは自分のせい。まだオグリキャップには借りがあるけれど、きょう少しは返せたかな」と南井克巳は涙をこぼしながらコメントした。

 オグリキャップのマイルCSからジャパンCの連闘は本当に遂行された。さぞや疲れているのではないかとマスコミは彼の調教に目を光らせていた。しかし彼は、マスコミを上回る常識破りの追い切りを敢行したのだ。調教師の瀬戸口勉は「(入厩した東京競馬場での調教では)、食欲が旺盛すぎて(体が)絞れない」と語り、体重を減らすことを目的に、美浦トレセンまで馬を運んで、そこで追い切りを行った。

 レースは早め先頭の積極策をとったニュージーランドの強豪牝馬ホーリックスを中団の前目から進んだオグリキャップが懸命に追走したが、クビ差それに及ばす2着に敗れた。走破タイムの2分22秒2は当時の世界レコードを記録した、各馬が死力を尽くしての勝負だったため、このときの競馬場は、オグリを責めるのではなく、「連闘なのによく走った」「あそこまで行けば勝たせたかった」というファンの声が大勢を占めていた。

 そしてラストの有馬記念(G1)を迎える。意外なことにオグリキャップは掛かり気味に先団を進むと、スーパークリークはそれを直後でマーク。逃げ・先行勢はお互いに引かなかったため、ペースは1000mの通過ラップが60秒2の超ハイペース。これではオグリキャップも直線で苦しくなって5着に敗退。それを横目に見ながらスーパークリークが先頭に躍り出たが、そこへ急襲したのがイナリワン。ぐいぐいと脚を伸ばすと、くらいついてくるスーパークリークをハナ差抑えて優勝を飾った。

 やはり前年秋の連戦、連戦という厳しいローテーションがこたえたのだろう。年末から翌春まで休養していたオグリキャップは、骨膜炎などの治療も必要だったためか、なかなか調子が上がらず、復帰レースを大阪杯(G2・当時)から安田記念(G1)へと遅らせることになった。

 ちなみに筆者は、武豊を鞍上に招き、一頓座あったとは思えない仕上がりで臨んだこの1戦がオグリキャップの真の能力を示したものだと思っている。

 このレースでのオグリキャップは終始“馬なり”。直線の残り400m付近でゴーサインを出されるとじわじわと後続を突き放し、2着のヤエノムテキに2馬身差をつけて圧勝。走破タイムの1分32秒4は当時のコースレコードだった。

アイドルホースのまさかの敗戦にファンもショック

 そして迎えた春の総決算、宝塚記念。騎手には伸び盛りの若手、岡潤一郎を起用。単勝オッズ1.2倍という圧倒的な支持を得ての出走となった。

 しかし、オグリキャップは完敗を喫してしまう。

 道中、3番手をキープしていたが、走りからは彼のストロングポイントである覇気が感じられず、体も切れがなく重そうだった。

 レースは直線入り口で早めに先頭へと躍り出たオサイチジョージが逃げ込みをはかるところへ、オグリキャップが急襲……するはずだった。しかし実際、差はまったく詰まらず、手前を変えなかったのも影響してか、2着こそ死守したものの、その差は3馬身半にも開いていた。完敗である。

 あのときの競馬場の雰囲気は忘れられない。なかなか前との差が縮められない状況を認めたファンの口からは悲鳴があがり、オサイチジョージが先頭でゴールすると、一気に場内がシーンと静まり返り、一種異様なムードが漂った。

 翌日のスポーツ新聞には、「オサイチジョージ優勝」ではなく、「オグリ負けた」の文言が並んだ。

 その後、岡潤一郎は1993年、落馬事故に遭って死去。オサイチジョージの手綱をとった丸山勝秀は1992年、罪を犯して競馬界から事実上の追放処分を受けた。

 1990年6月10日。オカルトを信じない筆者ではあるが、この日の阪神競馬場には悪い気が集まっていたのかもしれないとは思う。(文中敬称略)

三好達彦

三好達彦

1962年生まれ。ライター&編集者。旅行誌、婦人誌の編集部を経たのち、競馬好きが高じてJRA発行の競馬総合月刊誌『優駿』の編集スタッフに加わり、約20年間携わった。偏愛した馬はオグリキャップ、ホクトヘリオス、テイエムオペラオー。サッカー観戦も趣味で、FC東京のファンでもある。

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