
JRA和田竜二「苦節17年」テイエムオペラオーの死が「転機」に……ミッキーロケット勝利で解き放たれた新たな騎手人生

最後の直線、必死にムチを振るい追うジョッキーは1着に入り、ゴール直後に腕で顔を2度拭っていた。待ちに待ったJRA・G1優勝を成し遂げて、彼の胸に去来するものは何であっただろうか。
そのジョッキーは、和田竜二騎手。第59回宝塚記念でミッキーロケットに騎乗し優勝を果たした。2001年の天皇賞(春)をテイエムオペラオーで優勝して以来、じつに17年ぶりのJRA・G1優勝を果たしたのだ。この17年間、主にダートで活躍していた和田騎手は、地方競馬でのダート交流G1をワンダーアキュートで勝っていたのだが、JRAのG1レースでは勝つことが出来なかった。G1、120連敗。長いトンネルを抜けたのであった。
「これまで惜しかったレースがたくさんありました。ナムラクレセントの菊花賞3着、天皇賞(春)3着、ホウライアキコのクラシック、モズカッチャンのオークス2着、ビッグゴールドの天皇賞(春)2着など。しかし、どうしてもG1を勝つことができませんでした。いつしか、人気馬を操るジョッキーからかけ離れた、人気薄を上位に持ってくる穴ジョッキーとして活躍していきました」(競馬誌ライター)
しかし、そんな和田騎手は、自分のモチベーションが決して下がらないように、心に誓っていることがあったという。
“テイエムオペラオーのような馬にめぐりあう”
それはどういうことだろうか。
まず、テイエムオペラオーについて、簡単に触れておきたい。
デビュー2年目の和田騎手が1998年、テイエムオペラオーの新馬戦に騎乗して2着。それからずっと和田騎手が手綱を握るのだが、取引価格1,050万円だったこともあり、テイエムオペラオーはそれほど騒がれていなかった。それがデビュー5戦目で毎日杯(G3)を勝つと、次走の皐月賞(G1)も勝って一気に注目度が上がる。この後に走った年内の重賞は残念ながら2着、3着ばかりで一つも勝てなかったが、強くてタフな4歳馬(現在の3歳馬)であった。この年、当然和田騎手の取りこぼしもあったが、調教師、オーナーともに騎手交替をさせなかった。こうして和田騎手は、まわりの理解もあり、テイエムオペラオーから競馬を教わって育っていったのである。
PICK UP
Ranking
5:30更新JRA宝塚記念(G1)横山典弘「息子愛」でタイトルホルダー救った!? 好アシストに陣営からも感謝の声、横山和生が「最大のピンチ」を脱した裏側
「最強マイラー」に降りかかった予想外の火の粉…「名義貸し」の発覚したオーナーは馬主資格をはく奪、不運の名馬トロットサンダー【競馬クロニクル 第41回】
武豊「スキャンダル」「ケガ」など揺れに揺れた2017年。弟・幸四郎騎手「引退」から小浦愛「不倫疑惑」、そしてキタサンブラック「大団円」までをプレイバック!
- 「3大始祖」消滅の危機……日本で「2頭」世界で「0.4%」の血を残すべく立ち上がったカタール王族の「行動」に称賛
- アドマイヤ軍団が「G1・45連敗」武豊と絶縁し「40億円」と引換えに日本競馬界フィクサーの”逆鱗”に触れた凋落の真相?
- 浜中俊「哀愁」の1年。かつての相棒ソウルラッシュ、ナムラクレアが乗り替わりで結果…2025年「希望の光」は世代屈指の快速馬か
- 「シャフリヤールの激走はわかっていた」本物だけが知る有馬記念裏事情。そして“金杯”で再現される波乱の結末とは?
- JRA今村聖奈「大ブレイク」の陰で悲痛な叫び。「何のために騎手になったのか」乗鞍激減、レース開催日に”お留守番”続出
- 皐月賞(G1)クロワデュノール「1強」に待った!? 「強さが証明された」川田将雅も絶賛した3戦3勝馬
- 有馬記念に続き東京大賞典も「記憶力」が決め手…最強フォーエバーヤングから絞りに絞った2点で勝負!