「彼女が一番」武豊に長年の思い人ーー 「盟友」と同じくらい大事な、思い出の桜花賞馬との「幻想」と感動秘話
桜花賞馬として、牝馬クラシック第2弾のオークス(G1)を迎えたシャダイカグラ。レースは1番人気に推されたものの、ライトカラーにクビ差及ばずの2着だった。その後、夏場を休養にあて、秋初戦のローズS(G2)を快勝。当時、牝馬クラシックの最終戦だったエリザベス女王杯(G1)に向け、順調な滑り出しのように見えた。
しかし、この頃からシャダイカグラに脚部不安が見られるようになる。
陣営は、エリザベス女王杯後のシャダイカグラの引退を決断。文字通りの最終決戦に向け、脚に”爆弾”を抱えたシャダイカグラには慎重に慎重を重ねた調整が施された。
迎えたエリザベス女王杯。実力も然ることながら、その雄姿も見納めになるということでシャダイカグラは圧倒的な1番人気となった。ライバルとなるはずだったオークス馬・ライトカラーは秋から精彩を欠き、シャダイカグラの2冠達成は容易とさえ見られていた。
しかし、レース中にシャダイカグラが抱えていた脚の”爆弾”が爆発してしまう。
シャダイカグラは第3コーナーで大きくバランスを崩し、最後は脚を引きずるように大差の最下位でゴール。右足の靱帯断裂だった。予後不良による安楽死は辛うじて免れたが、競走馬を続けることは到底不可能なほどの重傷を負い、ターフを去ることとなった。
それから数十年後、武豊本人がある番組でシャダイカグラの桜花賞の”真相”を語った。
『シャダイカグラが出遅れたのは意図的ではなく、結果的に出遅れてしまった。しかし、予めシャダイカグラが出遅れることを予期していたことで、そうなっても冷静に状況を生かす競馬ができた』
発言を要約するとこのようになるが、その後に武豊は「もし普通にスタートしていたら、もっと楽に勝てたと思います」とコメントしていた。言い換えれば、武豊はシャダイカグラが出遅れることを覚悟していたため、出遅れても備えができていたということだ。
つまり当時の「ユタカマジック」は、マスコミや競馬ファンが生んだ”幻想”だったということである。