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JRAディープインパクト、オルフェーヴル、エルコンドルパサー……日本馬の「凱旋門賞」全挑戦史

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 2002年には社台グループ初の凱旋門賞挑戦となったマンハッタンカフェが13着、2004年にタップダンスシチーが17着と大敗が続いたが、2006年にいよいよディープインパクトが遠征する。

 日本競馬の至宝、日本最強馬など様々な異名を持ち、当日も多くの支持を集め、日本から多くの競馬ファンが偉業をこの目で見ようとフランスへ集まった。しかし結果は3着入線と勝利できず、しかもレース後に薬物が判明して失格となっている(呼吸器系治療薬使用の規定違反)。

 2008年には武豊騎手がディープインパクトの雪辱を期し、メイショウサムソンで参戦するも10着。しかし2010年には蛯名正義騎乗のナカヤマフェスタが低評価を覆してワークフォースの2着に好走、その一方で武豊騎手騎乗のヴィクトワールピサは7着という結果だった。翌2011年にはヒルノダムールが10着、前年2着のナカヤマフェスタは11着に大敗した。

 2012年にはディープインパクトに続く三冠馬オルフェーヴルが出走。直線抜け出し勝ったと誰もが感じた瞬間、ゴール前で内に寄れ、その隙を突いたソレミアが勝利し、悲願の初優勝を逃してしまった。2013年は昨年の雪辱を期すオルフェーヴルが出走するも、またもトレヴの2着に敗退。そして武豊騎手騎乗のキズナも4着に敗退している。

 2014年は川田将雅騎手騎乗のハープスター、福永祐一騎手騎乗のジャスタウェイ、横山典弘騎手騎乗のゴールドシップと初騎乗の3人と3本の矢が揃ったが、6着8着14着と上位に好走することはできなかった。

 2016年はディープインパクトの金子オーナーが所有するマカヒキが、父ディープインパクトの雪辱を期して鞍上クリストフ・ルメール騎手で出走したが、まさかの14着に敗退。さらに2017年はサトノダイヤモンドが15着、サトノノブレスが16着と大敗。2018年はG1未勝利ながらクリンチャーが出走するも17着に敗退している。

 2019年は菊花賞馬キセキ、有馬記念馬ブラストワンピース、天皇賞(春)馬フィエールマンとこれ以上ないメンバーで挑んだが、7着11着12着と結果を残すことができなかった。

 凱旋門賞に挑戦した日本馬全26頭の結果を振り返ったが、ご覧の通り2着が4回あるものの、2桁着順は26回中16回と70%近い数字となっている。日本でもトップレベルの馬が参戦してこの結果は、ヨーロッパ遠征の困難さを示しているといえる。この成績を見る限り、日本の競馬関係者にとって凱旋門賞は、エベレストよりも高い山なのである。

 しかしそれでも彼らはその頂を目指し挑戦し続ける。そして誰が日本初の凱旋門賞優勝関係者となるのか、その栄誉をかけて今後もし烈な争いが見られそうだ。

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