【後編】海外初のG1制覇を決めたシーキングザパールと武豊、藤沢和雄が続いたタイキシャトル…日本馬の海外遠征と中継事情【競馬クロニクル 第23回】
1995年、香港でのフジヤマケンザンによる重賞制覇は、G2レースではあったが、ファンも関係者も盛り上がり、その後も毎年のように香港国際競走への日本馬の参戦は相次いだ。
しかしレース中継に関しては、まだまだお寒い状況にあった。筆者が香港へしばしば取材に訪れるようになったのはその頃だが、当時、ラジオ中継のために当地を訪れたアナウンサーが衛星携帯電話をレンタルし、レースではその電話に向かって実況するというひと幕もあった。まだまだ牧歌的な時代だった。
またフジヤマケンザンの勝利は、日本の調教師やオーナーの海外遠征に対する欲求を大いに刺激した。というのも、この時代に名を上げてきた若手~中堅調教師や有力牧場のスタッフのなかには欧米での留学経験を持つものも多く、“世界”は憧れるものではなく、リアルなターゲットだと感じていたからである。
ちなみに、現在はディープなファンや関係者には欠かせぬ媒体となった『グリーンチャンネル』が1995年に放送を開始。ただ、日本馬が遠征した海外のレースをライブ放送するのは先のこととなる。
そして、さまざまな積み重ねの末、1998年の夏、まさにエポックメイキングな2週間が訪れる。
海外初のG1制覇を決めたシーキングザパールと武豊騎手
フジヤマケンザンで海外遠征ブームに火を点けた森秀行は、当時の日本ではほとんど知る人がいなかったフランスのG1レース、モーリスドゲスト賞(8月9日、ドーヴィル・芝1300m)にシーキングザパールで参戦。快速牝馬は武豊を背に持ち前のスピードで先頭に立つと、最後まで後続の追撃を振り切って優勝。日本競馬史に残る「欧州G1初制覇」という快挙を達成した。
このレースの模様はラジオでライブ中継され、筆者も飛び上がって喜んだひとり。編集部にカメラマンから「仕事が終わったら新宿で待ってるから」と呼び出しがかかり、私を含めた3人で半泣きになりながら酒場で朝まで祝杯を挙げた覚えがある。
吉報は翌週の8月16日にもフランスから届いた。競馬サークルに入る前に英国の名門、ギャビン・プリチャード・ゴードン厩舎で4年にわたって厩務員修行を積んだ調教師の藤沢和雄は“その時”が来る日を待ち望んでいた。そして、藤沢が手掛けた馬のなかでも最強クラスの1頭、タイキシャトルが次々とG1タイトルを積み重ねるなかで、いまが“その時”だと決断。フランス遠征に踏み切ったのが、シーキングザパールと同じドーヴィル競馬場を舞台にし、欧州のマイルG1でも最高峰と言われるジャックルマロワ賞だった。
前の週にG1を勝った森がレース後のインタビューで「来週出る馬はもっと強いですよ」と語ったこともあってか、圧倒的な注目を集めて自身初の直線コースでの一戦に臨んだタイキシャトル。重馬場でのタフなレースになったが、鞍上の名手・岡部幸雄と心が通じ合うように折り合って2番手を進むと、後ろの馬が来るのを待って残り100m付近からスパート。逃げ馬を捉まえ、追い込んで来た有力馬アマングメンの追い込みを半馬身差で抑え切って栄冠を手にした。
ライブ中継はラジオでのみであったが、後日テレビで放送された映像には、ベテランの岡部が表彰式で感激して涙を浮かべる貴重な様子が記録されていた。
翌1999年は、また日本馬の海外遠征史における大きな転換点を迎える。3歳時にNHKマイルC(G1)とジャパンC(G1)を制したエルコンドルパサーがフランスに長期滞在での遠征を敢行。二ノ宮敬宇と蛯名正義は日仏を行き来しながら、大望を叶えるべく奮闘した。
5月のイスパーン賞(G1、ロンシャン・芝1850m)で2着に入ると、7月4日に行われたサンクルー大賞(G1、サンクルー・芝2400m)は2着に2馬身半差を付ける圧勝で、欧州のG1初制覇を成し遂げ、現地の関係者やファンにその能力の高さを見せつけた。
3戦目は9月。来たる凱旋門賞(G1)と同条件で行われる前哨戦、フォワ賞(G2、ロンシャン・芝2400m)でも勝利し、コースが替わっても走れる適性の高さもアピールした。
10月3日、大目標の凱旋門賞は、局の歴史上初めてNHKが地上波でライブ中継するという画期的な出来事もあり、ファンの応援感情が大きく盛り上がった。
レースは稀に見る名勝負となった。不良馬場で極めてタフな状態となったロンシャンの芝コースで、エルコンドルパサーは果敢に先頭を奪ってレースを引っ張り、力強いフットワークで最終コーナーを回る。
後続もスパートに入るが、タフな馬場に苦しんでスタミナを失って後退。そのなかから1頭だけ伸びてきたのは、レース前からライバルと見られていたモンジューで、残り100m付近でエルコンドルパサーに並びかける。そこからは両者の意地と意地がぶつかり合う激しい追い比べとなったが、前半に脚を溜めていたモンジューがひと伸びし、エルコンドルパサーは半馬身差の2着に惜敗した。
モンジューを管理するジョン・ハモンドは「もっと馬場状態が良ければ負けていたと思う。モンジューに有利なタフな馬場コンディションになったのに、きょうは『2頭の勝ち馬』がいたのだから」と、現地メディアが気の利いたコメントでエルコンドルパサーを称賛した。
もはや言うまでもないが、テレビでこの激闘を目にした日本のファンは最上のレースに手に汗握り、そして悔しさに歯噛みした。これ以降、凱旋門賞はもちろん、年末の香港国際競走など、日本馬が出走するレースはほとんどライブ中継が行われるようになり、日本のファンはそれを通して海外競馬がより身近なものになっていく。
2006年にも、1999年(エルコンドルパサーが出走)に続き、NHKが2度目となる凱旋門賞の地上波でのライブ中継を行った。
日本競馬史上最強と謳われ、従来の競馬ファン以外からも大きな注目を集めて、一種の社会現象化したディープインパクトが参戦するということでNHKが中継権を獲得。結果はディープインパクトの3位入線(のちに失格)に終わったが、午前0時を過ぎた深夜帯にもかかわらず、視聴率は関東で平均16.4%、関西で平均19.7%(ビデオリサーチ調べ)という高い数値を叩き出している。
少々大袈裟な言い方になるが、中継の驚異的な視聴率を見るにつけ、ディープインパクトの出現によって、競馬は長い呪縛から解き放たれて、ギャンブルからスポーツへと、世間の認識が変わったと筆者は考えている。
また、長年にわたって中央競馬の中継番組を放送してきたフジテレビ(関西テレビ)も凱旋門賞のライブ中継には積極的で、ナカヤマフェスタが2着に健闘した2010年に初中継。その後も、オルフェーヴルが僅差の2着となった2012年には情報番組内でレースの模様を放送している。
上記の例以外にも、ドバイ・ミーティングで日本馬が目覚ましい活躍を見せるようになり、ファンはますます海外競馬への関心を高めていった。そうしたファンの念願であった、日本馬が参戦する海外主要レースの馬券発売が行われるようになったのは、2016年の凱旋門賞からのこと。JRAは競馬法の改正という難事を克服し、ネット投票用のソフト開発に数十億円を投じてのスタートだった。
それもいまや1レースあたり数十億円の売上を記録するのが常であり、ファンの海外競馬観戦には欠かせないツールのひとつとなっている。
日本馬の海外参戦と中継事情にかんして駆け足で見てきたが、馬券は枠連、海外競馬の中継はラジオからというプロセスを体験してきた筆者にとっては、繰り返しになるが、隔世の感を覚えずにはいられない。凄い時代になったものだと、この稿を書きながらあらためて感じ入った。(文中敬称略)
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