【特別追悼寄稿】決して「天才」にはなれなかった天才武豊の父・武邦彦 『魔術師』と呼ばれた名手が駆け抜けた時代
天才武豊の父・武邦彦は『魔術師』と呼ばれるほどの名手だったが、決して天才ではない。
武邦彦が騎手デビューしたのは1957年で19歳の時だが、それは騎手試験に何度も落ちた末にようやく掴んだデビューだった。祖父の武彦七が日本の西洋馬術の祖として知られる函館大経の弟子という肩書があったものの、決して目立った存在ではなかったのだ。
実際に若かりし武邦彦の主戦場は、クラシックや有馬記念などが行なわれる華のある舞台ではなく、当時の競馬では格下のカテゴリーだったアラブの障害戦だった。初騎乗も初勝利も、初の重賞勝利もすべてアラブの障害戦だ。
デビュー初年度はわずか8勝。2年目も15勝。当時は若手騎手を育てる環境が強くあったから生き残れたものの、今のように成績の伸びない若手が簡単にムチを置かざるを得なくなってしまうような環境なら、『魔術師』武邦彦は誕生していなかったかもしれない。
その後、じょじょに頭角を現していく武邦彦だが、初の八大競走(当時はまだG1という括りがなかった)を制覇したのはデビューから16年目、1972年のことだった。
これだけを見ても、如何に武邦彦が騎手として”大成”するまでに時間を要したのかがわかる。デビューわずか2年で菊花賞を制した息子・武豊と比較して、決して「天才」の軌跡ではないことは明らかだ。
だが、自身にとって初の八大競走制覇となったアチーブスターの桜花賞勝利で、世の武邦彦に対する評価は劇的に向上した。
詩人の志摩直人が競馬雑誌『優駿』に寄稿した文中で「今の彼なら絹糸一本で馬を御せる」と評し、同じく詩人の寺山修司は「一見、線が細く見えながら実に鮮やかである。少しも強引に見えないのに、大切な場面では見事に勝負師の本領を発揮しているのだ」と武邦彦を『魔術師』と評した。
この当時の競馬メディアを代表する2人の詩人の評価が、決して”競馬界の新星”を過大したものでないことは、わずか2カ月後に証明された。一躍、世間から脚光を浴びるようになった武邦彦が、今度はロングエースで日本ダービーを制したのである。
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