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JRAの競走馬が『少年マガジン』の表紙に、主戦ジョッキーが歌って国民的大ヒット…オグリキャップ、ディープインパクト級のアイドルホース伝説【競馬クロニクル 第1回】

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 オグリキャップハイセイコーか、はたまたディープインパクトか――。

 日本競馬史における“アイドルホース”をめぐる論争となると必ず俎上(そじょう)に乗せられるのが、この3頭のレジェンドたちだ。

 しかし、このテーマで議論するときに必ずぶつかる難題がある。彼らが走った時代の違いである。

 彼らが競走生活を送った年を見てみる。

 ハイセイコーが1972(昭和47)年-1974(昭和49)年。オグリキャップが1987(昭和62)年-1990(平成2)年。ディープインパクトが2004(平成16)年-2006(平成18)年。それぞれのあいだに十数年のときが横たわっており、特にハイセイコーとディープインパクトの両馬をリアルタイムで観戦した人は僅かしかいないだろう。

 かくいう筆者も、ハイセイコーの現役時代はまだ洟垂れ小僧で、“大人の娯楽”である競馬は果てしなく遠い世界の出来事だった。

 ただ、そんな小僧でもハイセイコーが表紙になったマンガ誌は読んでいたし、誰が歌っているのか分からないままではあるが、『さらばハイセイコー』という曲をラジオやテレビで始終聴いていた記憶は残っている。

 見かけは小さく感じるだろうが、実はこういう逸話にこそ、ハイセイコーの人気の凄さがあった(のちに、そのマンガ誌は『少年マガジン』であり、曲を歌っていたのが実際に引退まで手綱をとり続けた増沢末男騎手で、それが『さらばハイセイコー』というヒット曲だったことを知る)。

 つまり、それまでは世の中から「しょせん博打(ばくち)にすぎない」とか、「怖い」「暗い」だのと蔑まれてさえいた競馬に“市民権”を与える役割を果たしたのである。

 現役時代を知るマスコミの先輩諸氏が「あの馬が競馬の存在を変えた」、「世間での認知度はオグリキャップより凄かった」と口を揃えるように、“アイドルホース度”の点から見ると、ハイセイコーが他の2頭と比べて半馬身、いや1馬身ぐらいは先にいたと考えるべきだろう。もちろんそれは、一般的に競馬が世間の忌みものとされてきた時代背景を考慮してのものだ。

 ハイセイコーは型破りな記録や、爆発的な人気を偲ばせる伝説を数多く持つ馬である。

 前述した『少年マガジン』は膨大な販売部数を誇るマンガ誌であり、それだけメジャーな雑誌の表紙を競走馬が飾ること自体が歴史的事件だった。また、現役引退に際して作られ、増沢騎手が訥々(とつとつ)とした歌声を聴かせた『さらばハイセイコー』のシングルレコードは50万枚以上を売り上げる大ヒットを記録。当時の人気歌番組である『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)に増沢騎手が出演するというレコード会社の担当者さえ予想できないほどの人気を博したという。

 それでもまだ取り上げるべき“伝説”は尽きない。

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その① 大井競馬でデビューから6連勝、合計着差は50馬身以上!


⇒デビュー前から“モノが違う”と評判になっていたハイセイコーはデビュー戦で2着に8馬身差を付け、レコードタイムで勝利。以降、大差(約16馬身差)、8馬身差、10馬身差(レコード勝ち)、7馬身、7馬身と、全戦で対戦相手を子ども扱いする圧勝を続け、同世代に敵なしの快進撃を続けた。

 

その② 中央デビューの弥生賞では、押しつぶされそうになった観客が本馬場へ逃げ出した!


⇒3歳を迎えて中央競馬へ移籍したハイセイコー。レース前から「地方(競馬)の怪物」、「野武士がついにベールを脱ぐ」などと競馬マスコミが煽ったこともあって、中央初戦となる弥生賞の当日、中山競馬場へ「噂の怪物をひと目見たい」と主催者の予想を大きく超える12万人以上が来場した。

 レース前には観客が一気に前へ前へと押し寄せたため、柵沿いに陣取っていた人たちが押し潰される危険が発生。警備員が柵沿いのファンを救い出して、一時的に本馬場へ逃がす措置をとって事なきを得た。結果はハイセイコーの快勝で、競馬場は異様なまでの歓声に包まれたという。

 

その③ ダービートライアルで約17万人! 当時の最多入場者記録を更新


⇒弥生賞のあと、トライアルのスプリングSも制したハイセイコーは、重馬場となった皐月賞を先行・抜け出しのパワフルな走りで快勝。そして陣営は、「未経験の東京コースを走らせておきたい」という目的からダービートライアルであるNHK杯への出走も決断。皐月賞の優勝でハイセイコーの認知度はさらに上がり、レース当日は朝からあっという間にとてつもないファンが押し寄せ、押すな押すなの状態……あまりに“密”な状態だったため、レースが見られなかったファンも続出したという。

 そして、のちに発表された入場者数に主催者もマスコミも驚いた。なんと約16万9000人が入場しており、これは当然ながら当時のJRA史上最多記録となった。

 

その④ 日本ダービーで初の敗戦。スタンドはファンの悲鳴に包まれた


⇒大一番の日本ダービーでハイセイコーは単勝オッズ1.2倍という圧倒的な1番人気に推された。だが、直線で伸びを欠いて後続に飲み込まれている様子を目の当たりにした13万人以上の観客からは悲鳴があがり、3着に敗れたのを確認すると競馬場は異様なざわつきに、そしてのちには静けさに包まれたという。気の毒だったのは優勝したタケホープで、ダービー馬になったにもかかわらず、ハイセイコーが敗れたショックで呆然と立ち尽くすファンが多くを占めたスタンドからは、静けさのなかでパラパラとした拍手があっただけだったという。

 

その⑤「とうきょうと ハイセイコー様」この宛名で厩舎に手紙が届いた!


⇒前述のように、少年向けマンガ誌の表紙になり、テレビで取り上げられるにつれ、厩舎には毎日どっさりとファンレターやニンジンを詰めた段ボールが届いた。まだ宛名が書けない少年が送ったファンレターには「とうきょうと ハイセイコー様」とだけしか書かれていなかった。

 しかし、この手紙は見事にハイセイコーが所属する厩舎に届いたのだという。この“伝説的に情報量が少ない宛名”が書かれた手紙は、JRA競馬博物館が所蔵している。

 

その⑥ 現役を引退してもアイドル。馬産地・日高地方にファンが見学に訪れるように


⇒ハイセイコーはその後、4歳である1974年まで現役を続けるが、そのうちG1級レースでは菊花賞の2着はあったものの、皐月賞のほかには宝塚記念しか勝てなかった。それにもかかわらず、引退が決まっても人気が衰えるどころか、さらに高まりさえした。そこに目を付けたレコード会社が関係者に持ち掛け、制作・リリースしたのが引退にちなんだ曲、『さらばハイセイコー』だったのである。

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 そして1975年から北海道・日高(新冠町)で種牡馬になり、初年度の産駒から日本ダービーや天皇賞・春を制するカツラノハイセイコを出すなどの活躍を見せたほか、彼はもう一つ副次的な役割も果たした。日本の競走馬生産のメッカである日高へ、ファンや観光客を吸い寄せたのだ。

 いまでは当たり前になった北海道での種牡馬見学だが、ハイセイコー以前にはごく一部のマニアックな競馬ファンぐらいしか訪れる人はいなかった。

 ところがハイセイコーが引退・種牡馬入りするや否や、個人旅行で訪れる人はもちろん、旅行会社が見学ツアーを企画し、大型バスで見学者が頻繁に訪れる一種のブームが訪れる。ハイセイコーは日高に注目を集める重要な“観光資源”でもあった。いまでも新冠町へ向かうの道の脇には観光客のために『ようこそ!ハイセイコーのふるさと、にいかっぷ町へ』と記された看板が立っているはずだ。

 そしていまも新冠町の温泉付き文化施設『レ・コード館』の前に建立されたハイセイコーの記念像は日高を訪れたファンには欠かせない観光スポットとなり、死後23年となるいまも故郷に貢献している。

 オイルショックが襲い、国じゅうが沈滞ムードに支配された時代に登場したハイセイコー。その懸命な走りは、メンタルが落ちてしまったり、上司や政治家などの悪口を肴に飲んで憂さをはらしていた人たちにとって、自分の背中を押してくれるアイドルとなった。

 そしてこのうねりが、のちに「第一次競馬ブーム」と呼ばれるようになるほど、それまで決して印象が良いとは言えなかった競馬の地位をグッと押し上げていったのだった。

 その意義は果てしなく大きい。

三好達彦

三好達彦

1962年生まれ。ライター&編集者。旅行誌、婦人誌の編集部を経たのち、競馬好きが高じてJRA発行の競馬総合月刊誌『優駿』の編集スタッフに加わり、約20年間携わった。偏愛した馬はオグリキャップ、ホクトヘリオス、テイエムオペラオー。サッカー観戦も趣味で、FC東京のファンでもある。

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