武豊が「勝負の鬼」と化した天皇賞・秋。華麗さを捨て後輩騎手に”タックル”してでも勝ちに行った執念と覚悟
大歓声に悲鳴が混じり騒然とする中、武豊騎手はキタサンブラックを冷静にインコースへ促した。キャリア初の大きな出遅れであり、昨春のコンビ結成以来ずっと前で競馬をしてきたが、それでもまったく慌てることなく、即座に中団からの競馬に切り替えた。
G1の大舞台で1番人気馬の出遅れ。普通の騎手なら、いや、トップ騎手でも頭の中が真っ白になってもおかしくはない瞬間だ。
仮に、このまま敗れれば「何故、もっと早くポジションを挽回しなかった」と責められることは間違いない。実際に例に出すのは申し訳ないが、天皇賞・春の田辺裕信騎手や、毎日王冠のC.ルメール騎手といった名手でさえ、無理を承知でいち早く出遅れをリカバリーした。だが、その結果、無理が祟って人気馬で惨敗している。
出遅れとは本来、それくらいの致命傷となり得るのだ。
しかし、武豊騎手はレース後に「馬に気持ちが入り過ぎていたので『ちょっとマズイな』と思った」と語った通り、予め出遅れを覚悟していた。そして、出遅れた場合のプランを何パターンもシミュレートしている節がある。それは、この天才騎手が若干20歳の時に、すでに身に着けていた術だった。
1989年4月。桜花賞で1番人気のシャダイカグラに騎乗していた武豊騎手は、当時「圧倒的に不利な大外枠は勝てない」というデータを跳ね返して勝利を上げた。その時の騎乗が、今回のように出遅れてからの差し切り勝ちだったのだ。
あまりにも鮮やかな勝利に、ファンやメディアからはいち早く内に入るために「わざと出遅れた」という憶測が囁かれ”ユタカマジック”という言葉の語源にもなったが、当の本人は後にそれを否定。「出遅れることを想定していたので、冷静に対処できた」と語っている。