【武豊凱旋門賞25年の戦い】名門厩舎の馬で8度目の凱旋門賞騎乗決定!
そして三度目は2006年、武豊は37歳にして初めて日本の生産馬ディープインパクトで凱旋門賞に挑戦する。
当時のディープインパクトは、世界中から注目を集める存在であり、この凱旋門賞でも人気を集めた。レースはいつもより前目の競馬で、直線も弾けるかと思ったが伸びきれず3着に敗退。しかし体調がベストの状態ではなく、処方された薬から禁止薬物が検出され、レース後に失格となっている。おそらく、ベストの状態なら負けなかったというのは、武豊の本心で間違いあるまい。
4度目の挑戦は武豊39歳、2008年のメイショウサムソンだ。本来は前年の2007年に挑戦する予定だったが、馬インフルエンザの影響で出走できなかった経緯があった。その年、凱旋門賞の替わり代わりに出走した秋の天皇賞を快勝しており、明らかに衰えた翌年では10着という成績もやむを得なかったといえるだろう。もし絶好調だった2007年に挑戦できていれば…。前年のディープインパクト同様に、海外遠征の難しさを感じさせた挑戦でもあった。
5度目はその2年後、武豊41歳の2010年で騎乗馬はヴィクトワールピサ。皐月賞を制し、日本ダービーは3着だったものの、陣営は3歳での凱旋門賞挑戦を表明。前哨戦のニエル賞を使い凱旋門賞を目指したが、結果は7着に敗退。レースは直線の入り口で絶望的な位置にあり、武豊にとっては悔しい騎乗だったといえるだろう。
なおこの年の凱旋門賞は、日本馬のナカヤマフェスタが2着に検討健闘しており、ますます武豊とヴィクトワールピサの存在は希薄なものとなっていた。
6度目の挑戦はさらに3年後の2013年。44歳の武豊が騎乗したのはキズナだった。キズナは父ディープインパクト、母キャットクイル(ファレノプシスの母)という武豊にとって馴染みの深い血統。オーナーの前田氏が「ダービーを勝ったら凱旋門賞に挑戦したい」と語っていたこともあり、武豊はダービー前から同馬での凱旋門賞挑戦を意識していたという。そして見事勝利し、凱旋門賞に挑戦が決定した。
同馬も早めにフランスへ渡り、前哨戦から凱旋門賞へ挑戦するパターンを選択。その前哨戦のニエル賞は見事に勝利し、一躍凱旋門賞でもオルフェーヴルとともに注目されることとなった。
レースは人気の一角ノヴェリストが前日の熱発で回避したほか、前年のイギリス二冠馬のキャメロット、G1・3勝のザフューグが出走を取り消すなど実績馬が不在となり、1番人気オルフェーヴル、4番人気キズナと日本馬が上位人気に支持された。
しかし結果は地元フランス馬トレヴが5馬身差の圧勝、2着オルフェーヴルから約2馬身離された4着がキズナだった。レースは後方2番手から徐々に位置取りを上げ、懸命に追い込んではきたが、完敗といえる内容だった。
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