
JRA桜花賞男は武豊。通算5勝「平成最初」の桜花賞から「令和最初」の制覇へ
桜花賞といえば武豊。そう感じる競馬ファンも少なくないだろう。現役最多となる桜花賞5勝、しかもそのすべてで圧倒的なインパクトを残している。そもそも武豊騎手と桜花賞は特別な結びつきを感じる。桜花賞初騎乗は当時19歳の1998年で、シヨノロマンに騎乗し4番人気で2着。翌年、平成最初の桜花賞で初勝利を達成している。過去5勝の相棒は以下の通りだ。
1989年シャダイカグラ
1993年ベガ
1994年オグリローマン
1998年ファレノプシス
2004年ダンスインザムード
ちなみに人気馬で負けたレースも印象的。特に代表的な馬を挙げると
1995年ダンスパートナー(3番人気2着)
1999年フサイチエアデール(2番人気2着)
2003年アドマイヤグルーヴ(1番人気3着)
2006年アドマイヤキッス(1番人気2着)
2007年アストンマーチャン(2番人気7着)
2013年クロフネサプライズ(1番人気4着)
2017年リスグラシュー(3番人気2着)
など、後にG1レースを勝つ名馬も。2着5回もさすがで、桜花賞は通算【5.5.1.16】、勝率18.5%・連対率37%・複勝率40.7%の相性を誇っている。
今年のパートナーは昨年の2歳女王レシステンシア。果たして6度目の勝利となるか、過去の桜花賞勝利内容から今年の可能性を展望してみた。
桜花賞初勝利はデビュー3年目の1989年、平成初の桜花賞だ。1番人気シャダイカグラに騎乗したが、大外18番枠に不安の声も多かった。というのも、改修前の阪神競馬場マイル戦は、スタートしてすぐ右にカーブしていて外枠は不利だったからである。
レースはスタートで出遅れ最後方、最初のコーナーは16番手で、その後第3コーナーでは10番手まで上がり、4コーナーでは6番手。そこからゴール前にキッチリ差し切り勝利。大外枠の不利、1番人気の重圧を跳ね返しての手綱さばきに誰もが衝撃を受けた。
2度目の勝利は1993年のベガ。同馬とはデビュー2戦目の初勝利からコンビを組み、チューリップ賞、桜花賞、オークスと4連勝を達成している。桜花賞は好スタートから先行し、4コーナーでは早くも先頭。最後まで並ばれることなく、危なげない競馬で完勝。武豊はこの年デビュー以来最多の137勝を記録している。
3度目の勝利はベガの翌年、1994年のオグリローマン。兄がオグリキャップという同馬は、地方笠松競馬からJRA(日本中央競馬会)へ移籍し、兄が成しえなかったクラシックを勝利した。移籍初戦のエルフィンステークスは1番人気で9着、2戦目のチューリップ賞は2着に好走。そして桜花賞は兄のラストランに騎乗した武豊に替わり、重賞未勝利ながら3番人気に評価された。
1番枠に入ったオグリローマンは最内で脚を溜め、直線外に持ち出すと一気に加速、ゴール前で計ったようにツィンクルブライドを差し切り勝利。オグリキャップのマイルチャンピオンシップを彷彿させる、上がり最速の豪脚だった。そして武豊は2年連続の桜花賞勝利で、デビューから8年で桜花賞3勝という偉業を成し遂げたのである。
PICK UP
Ranking
23:30更新川田将雅「ルール違反疑惑」の現場関係者にブチ切れ!? マスコミ関係者に注意喚起の即通達…怒りを隠せなかった「目に余る行為」とは
JRA武豊「キタサンブラックで行きたかった」凱旋門賞(G1)制覇への思い。ディープインパクトより「強い馬じゃないと勝てないということはない」悲願達成のキーポイントとは
JRA池添謙一「2度結婚」「DV不倫」よりも紆余曲折の騎手人生。オルフェーヴル三冠→外国人で凱旋門賞、勝負強さは当代随一だが……
- アドマイヤ軍団が「G1・45連敗」武豊と絶縁し「40億円」と引換えに日本競馬界フィクサーの”逆鱗”に触れた凋落の真相?
- 「正直なところ辟易としています」武豊が巻き込まれた29年前のアイドルホース狂騒曲…レース前に明かしていた「コンビ結成」の裏話
- 「シャフリヤールの激走はわかっていた」本物だけが知る有馬記念裏事情。そして“金杯”で再現される波乱の結末とは?
- 浜中俊「哀愁」の1年。かつての相棒ソウルラッシュ、ナムラクレアが乗り替わりで結果…2025年「希望の光」は世代屈指の快速馬か
- JRA阪急杯(G3)川田将雅ブチギレ怒声「ユーイチ!!」から1年……ダノンファンタジーVSレシステンシアは「鞍上」因縁対決?
- JRA元騎手・藤田伸二氏の「引退理由」を日本経済新聞が痛烈批判!?「木を見て森を見ない典型」と述べた騎手リーディングの本質とは
- JRA高松宮記念(G1)浜中俊「もういいでしょ」若さ故の過ちから4年! 苦い経験を活かす絶好のチャンス、「被害者」武豊から託されたレシステンシアと重なるアノ馬