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「逃げ恥」どころか「逃げ勝ち」だった武豊騎手の2016年。かつての「溜め殺し」代表騎手が晩年に花咲かせた新たな才能 ~2016年プレイバック3~

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 年明け初戦のフェブラリーSでは、あえて身上の「逃げ」を捨てることを試みたコパノリッキーと武豊騎手だったが結果は報われず。7着に惨敗し、不振の”ドロ沼”はより深さを増したように見えた。

 ところが続く、かしわ記念では武豊騎手の手で「何が何でもハナに立つ逃げ馬」から「行きたい馬を行かせる逃げ馬」へのシフトチェンジに成功したコパノリッキーが見事に再生。終始2番手を進みながらも、上がり最速で勝ち切る圧巻のニュースタイルは、この馬を交流G1の3連勝に導いた。

 ここまで武豊騎手の今年の「逃げ」で象徴的な3頭を挙げさせていただいたが、G1に限らず、武豊騎手の逃げの才能が大きく開花したのは(または、逃げを積極的に試みるようになったのは)、2010年の落馬事故がきっかけだったように思える。

 2010年4月の毎日杯で起きた武豊騎手にとって忌まわしき落馬事故。右手関節亀裂骨折などの重傷を負っただけでなく、長期休養後もケガの影響で精彩を欠き、不振は大きく長引いた。

 以前のように勝てない日々が続く中、容赦なく降下する馬質。不振を極めて騎手の誰しもがそうであるように、大レースでなくとも人気馬に乗る機会は明らかに減少。引退説までささやかれ、天才といわれた武豊騎手でも再浮上は容易ではないとみられていた。

 だが、この頃から武豊騎手の騎乗スタイルに大きな変化が見て取れた。

 以前はディープインパクトやスペシャルウィークに代表されるように、道中はじっくりと脚を溜めて最後の直線で爆発させる騎乗が目立っていた。いわゆる欧州スタイルで、末脚が不発だった際は「溜め殺し」と揶揄されることも珍しくはなかった。

 ところが、この頃から武豊騎手を支えた勝ちパターンは外連味のない「逃げ」だった。人気馬に騎乗する機会が減り、言葉を選ばなければ”責任”の少ない伏兵に騎乗することも増え、その分思い切った騎乗ができるようになったのだ。

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