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JRAの前身「風紀を乱す」騎手免許合格もデビュー直前にレース出場を禁止…無念のまま引退、29歳で早世した悲劇の女性騎手“第1号”【競馬クロニクル 第25回】

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 JRAでは16年ぶりとなった藤田菜七子騎手のデビューで大きく注目され、1年目にして51勝(ほかに地方で4勝)を挙げてブレイクした今村聖奈騎手の登場で、さらに注目度が高まった女性ジョッキーの存在。

 今回はいつもと角度を変えて、日本競馬と女性騎手の関係をたどってみたい。

 中央で女性騎手というと、競馬学校騎手課程で『花の12期生』と呼ばれた1996年デビュー組が思い起こされるだろう。福永祐一、和田竜二などとともに、優秀な成績を収めた騎手課程の卒業生に贈られる『アイルランド大使特別賞』を受賞した牧原由貴子(現姓「増沢」)をはじめ、細江純子、田村真来と、3名の女性ジョッキーがデビューした年だ。

 正式には上記の3名が“中央競馬初”となるが、さかのぼると、1936年に京都競馬倶楽部で騎手免許試験に合格した斉藤澄子がいる。しかし、このあと農林省などが「風紀を乱す」という理由で女性のレース出場を禁止し、翌1937年に日本中央競馬会の前身となる日本競馬会が騎手を男性に限るという規則を作ったため(のちに廃止)、斉藤はレースに出られないまま引退し、29歳で早世した。もしデビューが叶っていれば、彼女が世界初のプロ女性騎手となっていたという説もある。

 ちなみに吉永みち子の手になる小説『繋がれた夢』(1989年・講談社刊)は斉藤をモデルに書かれたもので、女性と気付かれないよう体にきつく晒(さらし)を巻いて体形を隠しながら稽古をつけたことなど、ジェンダーフリーとは程遠い時代、旧弊の高すぎる壁に阻まれながらも騎手を目指した凄まじい生きざまが筆者の思いをのせた熱い筆致で描かれている(なお、講談社で文庫化されてからもすでに30年以上経っているため入手は困難かつ高価。興味を持たれた方には公立の図書館で探してみることをお勧めする)。

 その後、1960年代ごろから女性の地位向上を訴えるウーマンリブ運動が世界各国で勃興。その高まりが競馬の世界にも及び、各国で徐々に女性ジョッキーが生まれたと言われている。

 日本の場合は、女性騎手の活躍は中央よりも地方競馬のほうが早かった。

29歳で早世した悲劇の女性騎手“第1号”

 日本初の女性騎手(平地)は、岩手県の水沢競馬場の高橋優子で、1969年にプロデビュー。当地の重賞を含め通算209勝を挙げたが、1974年に心不全のために急死している。

 1978年に浦和競馬場でデビューし、大井競馬場を経て、1985年に渡米したのが土屋薫。キーンランド競馬場などで1992年まで騎乗し、米国で通算263勝を記録している。

 島根県の益田競馬場(2002年に廃止)では、年齢制限のため地方競馬教養センター(中央の競馬学校にあたる施設)に入学できず、厩務員からスタートした吉岡牧子が、1986年に免許試験に合格して翌年騎手デビュー。高橋の勝利数記録を破り、通算350勝を挙げて1995年に現役を引退した。

 中央で『花の12期生』と呼ばれた3名の女性騎手は2013年の増沢を最後にみな引退したが、彼女たちの前年、1995年に名古屋競馬場でデビューした宮下瞳は、いまも現役で活躍する“レジェンド”ジョッキーである。

 勝ち星を伸ばすとともに、2009~2010年には韓国で短期免許を取得して半年あまり騎乗した経験を持ち、2011年に出産のため現役を退いた。そして2児を出産したのち、我が子の復帰を請う声に後押しされ、2016年に騎手免許試験を受けて合格。再び馬上へと復帰し、一昨年の11月には通算1000勝を達成して、昨年1月にNARグランプリの特別賞を受賞した。

 戦後、日本で騎乗した外国人女性騎手も少なくない。

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撮影:Ruriko.I

 1978年に大井競馬場で行われた招待競走に米国のメアリー・ベーコン騎手が騎乗したのが公式記録としては最初のケースだと思われる。

 1994年にはJRAの短期免許を取得したニュージーランドのリサ・クロップがおり、彼女は翌年も来日した。その後、2シーズン連続で母国のリーディングジョッキーに輝いたこともある。

 やはりニュージーランドのジョッキーで、日本馬のギルデッドエージに乗って2002年の中山大障害を制したロシェル・ロケットは、女性で唯一人のJRA・G1優勝騎手となった。

 しかし、前記の騎手たちとはまったく違うレベルで活躍し、日本での騎乗経験もあるのが米国で“競馬の殿堂”入りしているジュリー・クローンだ。

 1981年にデビューし、1993年には米クラシックの三冠目、ベルモントSをコロニアルアフェアで優勝。女性初となる三冠競走優勝騎手という栄誉を手にした。

 落馬事故で1999年にいったん引退を発表したが、2002年に現役復帰。翌年のブリーダーズCジュヴェナイルフィリーズをハーフブライドルドで制覇。これもブリーダーズCを制した初の女性騎手という快挙であった。

 ジュリー・クローンは1990年の秋シーズンに来日。ジャパンC(ファントムブリーズ、14着)に参戦したのち、現在のワールドオールスタージョッキーズの前身であるワールドスーパージョッキーズシリーズに参加。12人中4位の好成績を残している(優勝は岡部幸雄騎手)。

 このとき総合成績で3位に入った河内洋騎手(現・調教師)に、別件の取材で雑談をするなかで面白いエピソードを聞いたことがある。

「何戦目かに、後ろからクローンが自分の馬と隣の馬のあいだを狙うてたから、その隙を閉めたんよ。そしたら後ろで何や大声出しとったけど、こっちも簡単には譲れんからな。そんでレースが終わって検量へ戻ったら、クローンがえらい勢いでこっちへ飛んできて、目の前でワーワー怒鳴られてな。何言うてんのかは分からんけど(笑)。ああ、やっぱりアメリカで男連中と互角に戦うてる女の人は、これぐらい負けん気が強ぅないとやっていけんのやな、と思うたなぁ」

 話に笑いを織り込むのは河内騎手の常だが、その目はいたって真剣だった。

 現在、JRAに在籍する女性騎手は6人と、人数は最多で、ジョッキーだけではなく、厩務員にも女性の姿が増えてきた。とはいえ、競馬が圧倒的な“男性社会”であることはまだまだ変わらないし、その中で勝ち抜いていくことは容易なことではないだろう。

 それでも彼女たちがいつかG1の舞台で喝采を浴びる日が来るのを筆者が、そして多くのファンが待ち望んでいる。(敬称略)

三好達彦

三好達彦

1962年生まれ。ライター&編集者。旅行誌、婦人誌の編集部を経たのち、競馬好きが高じてJRA発行の競馬総合月刊誌『優駿』の編集スタッフに加わり、約20年間携わった。偏愛した馬はオグリキャップ、ホクトヘリオス、テイエムオペラオー。サッカー観戦も趣味で、FC東京のファンでもある。

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