デビュー3年目の武豊が「神業」魅せた天皇賞・春…イナリワンとの邂逅でいよいよ凄みを増したリヴィングレジェンドの存在【競馬クロニクル 第52回】
リヴィングレジェンド、武豊騎手が若い頃からいただいていた称号に「天皇賞男」、「平成の盾男」という有名なフレーズがある。
天皇賞を春秋あわせて14回制し、春だけでも8勝と、いずれも歴代最多勝利数のレコードである。
そのなかでも特に離れ業的な快挙といわれるのが、1989年から1992年まで、天皇賞・春(G1)を4連覇したことだろう。
騎手デビュー3年目の1989年にイナリワンで初優勝すると、1990年はスーパークリークと、また1991年と1992年はメジロマックイーンとのコンビで優勝を遂げているのだ。さらに言えば、1989年の天皇賞・春から翌年の同レースまで、天皇賞は春秋通して3連勝を記録している。
こうした武豊騎手の天皇賞での図抜けた活躍のなかでも、筆者に強い印象を残しているのが、イナリワンとのコンビである。
イナリワンは大井競馬に所属し、1986年の暮れにデビューした。それを勝ち上がると、ひとつの出走取消をはさんで8連勝。その後も好戦を続け、1988年12月の東京大賞典(現G1、大井・ダート3000m)を制したのを機に、レース前の「勝ったら中央へ移籍させる」という保手濱忠弘オーナーの宣言どおり、中央の鈴木清厩舎(美浦)へと転厩した。
大井競馬から中央へ移籍した馬といえば、オグリキャップと並んで戦後最大のアイドルホースとも言われるハイセイコーが頭に浮かぶのは、競馬ファンにとってはおなじみのこと。イナリワンの移籍はファンに相当な期待をかけられた。
初戦はオープンのすばるS(京都・芝2000m)に出走した。手綱を任されたのはベテランの小島太だったが、道悪(重馬場)だったうえ、長距離戦を得意とする馬にもかかわらず悍性が強すぎ、引っ掛かり癖があるイナリワンの操縦性というウィークポイントに泣かされて4着に敗れる。続く阪神大賞典(G2、阪神・芝3000m)では、他馬の斜行によって進路妨害を受けて繰り上がりの5着。多くの競馬ファンを落胆させた一方で、これだけの癖を見せ、不利を受けながらも、すばるSでは勝ち馬と0秒1差、阪神大賞典でも0秒3差と大負けしたわけではなく、能力の高さの一端は垣間見せていた。
そこで陣営はジョッキーのスイッチを決断。馬への“当たり”の柔らかさを持ち、前進気勢の強い馬を御すことに秀でていた武豊に騎乗依頼すると快諾を得た。それは、前年の菊花賞(G1)で人馬ともに初のG1タイトルを取ったスーパークリークが疲労残りで春シーズンを全休していたことによるものでもあった。
そして単勝4番人気で迎えた天皇賞・春。武は癖馬を見事な手綱さばきで御すことに成功する。
行きたがる馬を力で抑え込むのではなく、長めに持った手綱を馬に“預けて”、リラックスした走りを引き出すのが武の高等テクニックで、これは騎手時代に「名人」と呼ばれた父の武邦彦もしばしば見せていた「長手綱」と呼ばれる難易度の高い技術。これが悍性の強すぎるイナリワンの走りを一変させた。
馬なりでゲートを出ると、無理に位置を取りにはいかず、長手綱で折り合いに専念。道中は後方の13番手を進み、2周目の向正面から徐々に進出して直線では4番手まで位置を上げていた。するとどうだろう。前2戦では見せなかった末脚の切れを発揮して楽々と先頭へ躍り出ると、粘ろうとするミスターシクレノンを5馬身も千切って圧勝を遂げたのである。
武は次走の宝塚記念(G1)でも続けてイナリワンの手綱をとり、今度はスムーズに先団の4番手で折り合ってレースを進めると、最終コーナーを2番手で回った。直線、素早く先頭に立つと後方から怒涛の末脚で追い込んできたフレッシュボイスをわずかにクビ差抑えてゴール。見事にG1連勝を果たすのだった。
天皇賞・春では後方から、宝塚記念では先行策からの優勝。乗り難しいイナリワンをもって変幻自在の手綱さばきで勝利を手繰り寄せた手腕を見て、これが本当にデビューしてわずか3年目のヤングジョッキーなのか、と舌を巻いたことを覚えている。
そして、前年の菊花賞で見せたミラクル、つまり他馬への騎乗依頼を断って、除外対象となっていたスーパークリークへの騎乗を望み、結果、回避馬が出て出走に漕ぎ付けた愛馬を優勝へと導いたこと。ここから始まった武豊の「伝説=レジェンド」は、このイナリワンとの邂逅をして、いよいよ凄みをもって語られるようになっていった。
また武は、“平成3強”と言われることもあるオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンの3頭でG1を制するという希有な経験を持つジョッキーでもある。これも一つの「伝説」と言えるだろう。(文中敬称略)
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