サンデーサイレンス、ブライアンズタイム、トニービン…猛威を振るった「3大種牡馬」の覇権争い、極端な形で生産者に訪れた「光と影」【競馬クロニクル 第50回】
1917年創業という歴史ある生産牧場、早田牧場(正式名称は『資生園早田牧場』)は獣医師であり、競走馬生産に意欲を燃やす早田光一郎によって本格的な活動を開始する。カナダへ留学して、当地で買い付けた馬の活躍により当時のレートで約1億円とも言われる資金を手にすると、馬産のメッカである北海道・日高地方への進出を決意。さらに資金を調達して新冠町に早田牧場新冠支場を設立し、さらには種馬場のCBスタッドも造って、その意欲の強さを生産地に印象付けた。
徐々に海外での買い付けを進めていた早田は、トニービンを擁して大躍進を遂げた社台グループに対抗して、グレードの高い種牡馬の導入にも着手。1988年に米国のエクリプス賞で最優秀芝牡馬に選ばれたサンシャインフォーエヴァー(父Roberto)を購買すべくオファーを出すが、価格が折り合わずに断念(のちに購買して日本に導入)。その代わりに買い付けたのが、サンシャインフォーエヴァーと血統構成が似ており、芝のG1を2勝していたブライアンズタイム(父Roberto)。そう、三冠馬ナリタブライアンをはじめ、数多の活躍馬を送り出すことになる後のスーパーサイアーだった。
ちなみに早田は父に大種牡馬ノーザンダンサーの繁殖牝馬の導入も熱望しており、米国のセリで1頭の受胎馬を手頃な価格で購買して輸入。シャルードという無名に近い種牡馬の仔を宿したパシフィカスという名のこの牝馬が、日本で産み落とした“持込馬”が菊花賞(G1)、天皇賞・春(G1)、宝塚記念(G1)を制したビワハヤヒデである。そして、ブライアンズタイムを交配されて送り出されたのがナリタブライアンだった。
1991年の菊花賞をレオダーバン(父マルゼンスキー)で制して狼煙を上げた早田牧場は、光一郎が自ら導入した種牡馬ブライアンズタイムの大活躍を推進力として一気に存在感を高めた。そして、日高の用地を次々と買い入れ、日に日に存在感を高めていった。
それと前後して、社台グループが導入したのが“あの”サンデーサイレンスだった。ひと言に「導入した」とは言うものの、その過程には長年の積み重ねがあった。
牧場を本拠だった元の千葉県富里市から北海道・千歳市に移し、社台グループ躍進の祖となった吉田善哉は1960年代から盛んに欧米のセリに足を伸ばしては名と顔を広め、さらには現地で自らの馬を走らせるなどして、次第に信用を勝ち取っていった。長兄の吉田照哉には米国で牧場・フォンテンブローファームの場長に任じて経験を積ませ、当時、世界中を席巻していたノーザンダンサーの仔を買い付けるよう指示した。そこで照哉が買い付けたのが、のちに日本で種牡馬として大成功を収めるノーザンテーストだった。
米国年度代表馬に輝き、ケンタッキーダービー(G1)、ブリーダーズCクラシック(G1)などG1を6勝した“超大物のメジャーリーガー”であるサンデーサイレンスの導入に関しても、多くの時間をかけて培った信用を背景に、地道な活動の継続によって成されたものである。
サンデーサイレンスは、生産者であるアーサー・ハンコック3世をはじめとする複数人による共同所有馬だった。そのなかの一人が吉田善哉であり、ハンコックや調教師のチャーリー・ウィッティンガムらとは旧知の仲であり、その信頼から共同所有に参加することができた。吉田は機があるごとに投資を重ねて自分の持ち分を増やしていき、1990年、ハンコックに持ち分の購買を打診。このオファーが受け入れられたことから、後に空前絶後のスーパーサイアーの導入に成功したのである。吉田がサンデーサイレンスの購買までに投じた資金は実に10数億円に達したとも言われている。
サンデーサイレンスの導入に際しては、総額25億円(4100万円×60口)という破格のシンジケートが組まれ、余勢種付けの価格も当時としては超高額の1100万円に設定された(のちには最高値で2500万円まで上昇した)。
残念なことに吉田善哉はサンデーサイレンスの産駒がデビューするのを待たずにこの世を去った。しかし、生前の吉田が抱いていた決して小さくはない期待を、類を見ないほど多くのG1ホースを送り出す活躍で大幅に回る成功を収めたことはご存じのとおりである。
社台グループのトニービンとサンデーサイレンス。早田牧場系のブライアンズタイム。いちどきに出現したスーパーサイアーを指して、マスコミは彼らを“3大種牡馬”と称し、ファンもその競い合いに心を奪われた。ことにPOG(ペーパーオーナーゲーム)を楽しむ人のあいだでは、3大種牡馬の産駒の奪い合いが起こるほどだった。
実はこのころ、別の大きな動きが出ていた。大手牧場の勢いの凄まじさに危機感を抱いた日高の中小牧場が資金を出し合い、1頭の大物種牡馬の購買に打って出たのだ。そのターゲットは、デビュー2戦目で英ダービー(G1)に勝利すると、キングジョージ6世&クイーンエリザベスS(G1)、凱旋門賞(G1)とビッグレースを次々と制覇。4戦4勝で引退し、“神の馬”とまで呼ばれたラムタラだった。
すでに英国で種牡馬入りしていたラムタラについて、この売買交渉でオーナーのゴドルフィンと折り合った額は3000万ドル。当時のレートで約33億円というビッグディールだったため、一般紙誌にまで取り上げられる話題となった。
しかし、苦心して日高の生産者が手に入れたラムタラだったが、G3の勝ち馬を1頭出したけで、種牡馬としてはまったくの期待外れに終わってしまった。結果、2006年には英国へ戻ることになる。その際の買取価格は20数万ドルにすぎなかったと言う。
リーディングサイアーを見返すと、1994年にトニービンがトップを奪取。しかし翌年にはサンデーサイレンスがその座を奪い、ブライアンズタイムは2位、トニービンは4位。1996~1997年はサンデーサイレンス、ブライアンズタイム、トニービンの“3大種牡馬”が上位を独占。なかでもやはりサンデーサイレンスは別格で、13年連続でリーディングサイアーの首位に輝くという偉業を達成。惜しまれながら2002年に死んだが、ディープインパクトをはじめとする後継種牡馬には事欠かず、「サンデーサイレンス系」のサイアーラインを世界じゅうに広げ、社台グループのさらなる発展に大きく寄与している。
一方の早田牧場は、ナリタブライアンのほか、マーベラスサンデー、ビワハイジ、シルクジャスティス、シルクプリマドンナというG1ホースを送り出して、1994~1997年に生産者ランキングで社台ファームに次ぐ2位を記録。昇竜の勢いを見せたが、その後、無理な事業拡大によって資金繰りが急速に悪化。さらに、種牡馬入りにあたって総額20億円のシンジケートが組まれたナリタブライアンが供用わずか2年で急死し、育成施設の天栄ホースパークの巨額な建設費用も重なる。そして2002年、札幌地方裁判所から破産宣告を受けて早田牧場は倒産。早田光一郎は、ブライアンズタイムの種牡馬シンジケートに関する資金を横領した罪に問われ、有罪判決を受けた。
トニービン、ブライアンズタイム、そしてサンデーサイレンス。傑出した“3大種牡馬”によって繰り広げられた戦国時代は、こうして極端な光と影を映し出し、幕を閉じた。(文中敬称略)
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