「聞こえんふりしとったよ」テイエムオペラオー降板の危機に見せた名伯楽の親心。4年目新人騎手は翌年、前人未到の大記録達成
2000年、G1レース5つを含む8戦全勝という唯一無二の偉業を成し遂げたテイエムオペラオー。編集者として引退まで取材を続けていたこともあって、筆者にとって彼はいまも特別な存在であり続けている。
その馬を預かった調教師は、騎手時代には一度マークした馬は喰らい付いて離さないことから「マムシの市ちゃん」とも呼ばれた岩元市三である。
鹿児島から集団就職で大阪へ出たものの、何か自分に向いた仕事はないかと頭を悩ませていた岩元。友人に連れられて行った園田競馬場で騎手の姿を見て、この仕事は小柄な自分でもやれるかもしれないと思い立つ。馬に乗った経験もない身でありながら、である。
18歳になった1965年、のちに調教師会の関西支部長まで務める布施正の門を叩いたが、乗馬の経験もないこともあって断られた。しかし、のちに「マムシ」と呼ばれるだけあって、めげずに再度訪ねたところ、その熱意が認められて“下乗り”(騎手候補生)として弟子入りを許された。
しかし、馬乗りとしてはゼロからのスタートであった上、厳しい人格者であった布施はなかなか正騎手になることを許さなかった。結局、布施の眼鏡にかない騎手デビューしたのは1974年のこと。岩元はすでに26歳になっていた。
長い下乗り時代を耐え抜いた岩元を、布施はでき得る限り起用した。岩元はその期待に応えてコツコツと勝ち鞍を積み上げ、1982年にはバンブーアトラスで日本ダービー(G1)を制覇。布施に初のビッグタイトルをもたらすという素晴らしい恩返しを果たしている。
岩元は1989年に厩舎を開業し、1996年には新人騎手の和田竜二を受け入れた。福永祐一や、3名の女性騎手の誕生に沸いた年のことである。
和田は初年度から33勝を挙げる活躍を見せ、自厩舎のサージュウェルズでステイヤーズS(G3)に優勝。同期デビューの騎手のなかで最初に重賞勝利を挙げた。
そして岩元と和田は1998年にホースマンとしての人生を変えるような馬と出会う。岩元と幼馴染みの先輩、竹園正繼から託されたテイエムオペラオーがその馬である。
テイエムオペラオーは2歳の8月にデビューするも、骨折が判明して半年弱休養。復帰2戦目で初勝利を挙げると、3連勝で毎日杯(G3)を制覇。その余勢を駆って臨んだ皐月賞(G1)では、第3コーナー過ぎに後方から馬群の外を通って“まくり”に打って出ると、終いまで脚色は衰えず、ゴール寸前でオースミブライトを捉えて優勝。
力ずくで他馬をねじ伏せるような勝ち方は多くの関係者に衝撃を与え、なかでも調教師(当時)の野平祐二は「中山であの位置からスパートして、直線の坂でも脚が上がらないというのはとんでもないこと。ことによると(シンボリ)ルドルフに劣らない馬が現れたのかもしれません」と、自身が管理した歴史的名馬の名を出すほどに驚嘆。以後は“オペラオー応援団”と言えるほどの熱い視線を注いだ。
二冠目、日本ダービーに臨むテイエムオペラオー。その“主役”に対して、岩元は予想外の策をとる。デビュー4年目の和田と、この年の4月に厩務員になりたての原口政也をオペラオーに帯同させ、先に東京競馬場の出張厩舎へと送り出したのだ。
曰く、「初めての競馬場やから、馬に下見さした方がええやろと思うて先に行かすことにしたんや。それに二人(和田と原口)にとったら、こんな経験は二度とできんかもしれんからな」
ひょうひょうとした口ぶりのなかには、確かに彼らへの信頼と、ホースマンとして一人前に育てたいという“親心”が感じられた。
迎えた日本ダービー当日。レースと岩元の様子を同時に視界に捉えられるよう、筆者はライターとともに調教師席の後ろに立っていた。ところが、何かの拍子に振り向いた岩元が私たちに気付き、声をかけられる。
「おお。おるんやったら声かけてくれたらええのに。席、空いてるから、こっちで一緒に観ようや」
かくして皐月賞を勝った調教師の隣でダービーを観戦することになった。おかしな話だが、岩元の隣に座った途端、単なる取材者でしかない自分たちまで緊張して無口になってしまうのだから情けない。
単勝人気は、渡辺薫彦騎乗のナリタトップロード(3.9倍)、武豊騎乗のアドマイヤベガ(3.9倍)、テイエムオペラオー(4.2倍)と、支持率が僅差の“三強”というかたちになった。
しかし結果は、先に動いたテイエムオペラオーは末脚が鈍って3着。いったんは抜け出したナリタトップロードも、前の2頭を見ながら最後にアクセルを踏まれたアドマイヤベガに見事な後方一気を決められた。
傍目には、日本が誇る至宝・武豊の老獪にして大胆な騎乗に、決して大舞台の経験が多いとは言えない若手ジョッキーが飲み込まれたようにも見えた。
テイエムオペラオーが馬群から抜け出そうとした際には掛け声を出していた岩元だったが、劣勢必至の状況が露わになると静かにその結末を見守った。
「あかんかったな。まぁ、しゃーないわ。ほな、お疲れさん」
岩元はそう言い残して愛馬のもとへと向かった。
その後。テイエムオペラオーは京都大賞典(G2)で古馬を相手に3着すると、菊花賞(G1)へ臨む。ここではダービーの敗戦を糧とすべく、和田は後方を進んで慌てずにゴーサインを出し、最速の上がり時計を叩き出しながら先行したナリタトップロードをクビ差捉え切れず2着に敗れた。
この敗戦には、起用する騎手に注文を付けるタイプではないオーナーの竹園が珍しく怒り、岩元に鞍上の変更を迫ったという。
数年前、調教師の定年引退を目の前に控えた岩元に、その件についてあらためて訊ねた。
すると少し苦笑いしながら、「聞こえんふりしとったよ」と答えた。それを真に受けるほど、こちらも初心ではない。どういうやり方で竹園に頼み込んだのか定かではないが、岩元は和田を守ったのである。竹園と近しい関係であったとはいえ、苦労人の岩元らしい振る舞いだと思う。
翌2000年、8戦8勝という金字塔を打ち立てたのは前述したとおりだ。
2001年のこと。取材を終えて雑談しているとき、いまは現役を引退している元騎手が、和田について話した言葉が思い出される。
「みんなリュウジのことを軽く見過ぎでしょ。8回走って全勝だよ、全勝。日本のリーディング(ジョッキー)は勝利数で決めるけど、その考え方はおかしいんだよ。勝ち鞍は確かに少ないけど、リュウジが去年、どれだけ賞金稼いだか考えてみてよ。G1で1番人気の重みを背負って勝つのに、どれだけプレッシャーがかかるか分かってんの?って。オペラオーがいかに強いとは言っても、一回もへぐらない(ミスしない)なんて、なかなか出来るもんじゃないから」
和田は2017年に96勝というキャリアハイを記録するなど、40代の半ばを過ぎても“いぶし銀”の活躍を見せている。厩務員の原口は交流重賞で活躍したクーリンガー、東京大賞典(G1)を4連覇したオメガパフュームなどを担当する腕利きになった。
テイエムオペラオーは強かっただけではなく、人と人を結び付けるエンゲージメント=結節点でもあった。(文中敬称略)
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