GJ > 競馬ニュース > ヤマニンゼファー死亡
NEW

ヤマニンゼファー死亡……ふたりの騎手にG1初制覇をもたらした名馬の数奇な運命

【この記事のキーワード】, ,
0516yamanin_01.jpg※画像:ヤマニンゼファー 『JBISサーチ』より

 1992年、翌93年の安田記念(G1)を連覇、そして同年の天皇賞・秋(G1)も制し、JRA賞最優秀5歳以上牡馬(当時)、最優秀スプリンター、最優秀父内国産馬を受賞したヤマニンゼファーが老衰で死亡した。

 ヤマニンゼファーは父ニホンピロウイナー、母ヤマニンポリシー、母の父ブラッシンググルームという血統を持つ。引退後は種牡馬としても活躍しており、最盛期には100頭を超える種付頭数を記録していた。だが、08年、09年の種付頭数がゼロだったことと高齢を理由に同年には種牡馬からも引退。その後、功労馬として北海道の新冠町にある錦岡牧場で余生を送っていた。

 記録にも記憶にも残る活躍をしていたヤマニンゼファー。この訃報に対してネット上のファンからも「また名馬が去ったのか…」「ご冥福をお祈りします」と惜しむ声があがっている。

 またファンがこの馬の名前を聞いて思い出すのはふたりの騎手、この馬でG1をはじめて制した田中勝春騎手と柴田善臣騎手のことではないだろうか。

 田中騎手は92年の安田記念にヤマニンゼファーに騎乗。11番人気で18番という大外枠を引き当て、期待薄だったもののスタート直後から果敢に仕掛け、見事に優勝。ゴール板の前で田中騎手が見せた派手なガッツポーズはいまだにファンの語り草となっている。

 翌年、京王杯スプリングカップから引退するまでヤマニンゼファーには柴田騎手が騎乗することになった。この乗り替わりの一因は、田中騎手の所属厩舎からセキテイリュウオーが台頭し、騎乗することを余儀なくされたためだともいわれている。

 新コンビは京王杯スプリングカップを制して安田記念に向かった。同レースはこの歳から外国調教馬が5頭まで出走可能になる国際競走に変更されている。前年の王者、ヤマニンゼファーは2番人気に推され、”外国からの刺客”を迎え撃つことになった。

 レース序盤、先頭集団の後方につけていたヤマニンゼファーは4コーナーを回って直線に入ると、するすると先頭に進出。後続馬からの追走を受けるもそのままトップを譲ることなく、2着に1.1/4馬身差をつけ、ゴール板を駆け抜けた。ゴール直後、柴田騎手はムチを手にしていた右手を大きくあげ、喜びを爆発させている。

ヤマニンゼファー死亡……ふたりの騎手にG1初制覇をもたらした名馬の数奇な運命のページです。GJは、競馬、, , の最新ニュースをファンにいち早くお届けします。ギャンブルの本質に切り込むならGJへ!

Ranking

5:30更新
  • 競馬
  • 総合
  1. 「シャフリヤールの激走はわかっていた」本物だけが知る有馬記念裏事情。そして“金杯”で再現される波乱の結末とは?
  2. 「3大始祖」消滅の危機……日本で「2頭」世界で「0.4%」の血を残すべく立ち上がったカタール王族の「行動」に称賛
  3. 浜中俊「哀愁」の1年。かつての相棒ソウルラッシュ、ナムラクレアが乗り替わりで結果…2025年「希望の光」は世代屈指の快速馬か
  4. 皐月賞(G1)クロワデュノール「1強」に待った!? 「強さが証明された」川田将雅も絶賛した3戦3勝馬
  5. 巷に出回る川田将雅「長距離苦手説」をデータで検証、阪神大賞典(G2)で気になる「13年未勝利」の課題…リーディングジョッキーの意外な過去
  6. アドマイヤ軍団が「G1・45連敗」武豊と絶縁し「40億円」と引換えに日本競馬界フィクサーの”逆鱗”に触れた凋落の真相?
  7. JRA池添謙一「2度結婚」「DV不倫」よりも紆余曲折の騎手人生。オルフェーヴル三冠→外国人で凱旋門賞、勝負強さは当代随一だが……
  8. JRA二ノ宮敬宇調教師引退は「体調」の問題か……残した海外伝説と「最後の末脚」
  9. 横山典弘騎手が若手騎手に「あの乗り方はやめろ」岩田康誠騎手らが実践する「お尻トントン」は、競走馬の負担になるだけ?
  10. 有馬記念に続き東京大賞典も「記憶力」が決め手…最強フォーエバーヤングから絞りに絞った2点で勝負!