エリザベス女王杯「単勝430.6倍」大激走に19歳ジョッキーも「本当に信じられません」。 武豊1番人気がまさかの結末で生まれたJRA・G1最高配当【競馬クロニクル 第30回】
4万3060円。この数字を見てピンと来た人はオールドファンか、かなりの競馬通だろう。
これはまだ3歳牝馬限定戦として行われていた1989年のエリザベス女王杯(G1、京都・2400m)でサンドピアリスが叩き出したJRA・G1の単勝最高払戻記録で、レースから34年が経とうとしている今なお破られていない特大の記録だ。
レース当日、筆者は100円単位で馬券が買えるウインズ後楽園(当時はウインズにより発売される馬券の単価が違った)で楽しんでいたのだが、エリザベス女王杯のゴール直後はフロアがざわつき、払戻金が発表されると「ふぉ~」という溜息や、「こんなの当たるわけねーだろ!」という大きい独り言(笑)が、そこここから聞こえてきた様子がいまも頭に浮かぶ。
サンドピアリスは、父が第一次競馬ブームの立役者となった“怪物”ハイセイコーであり、母のイエンライト(父イエラパ)は条件戦ばかりながらJRAのダートで10勝を挙げて、総額1億円以上の賞金を稼いだオーナー孝行な馬だった。
北海道・日高の生産牧場によって立ち上げられたクラブ法人『ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン』の第一期生として栗東トレセンの吉永忍厩舎に預託されたサンドピアリス。デビューは3歳の3月までずれ込んだが、初戦(阪神・ダート1200m)は6番人気ながら2着に4馬身差を付けて逃げ切りで快勝し、好スタートを切った。
しかし、2戦目、3戦目に使った芝のレースでは2秒4差、1秒3差と惨敗。次走、400万下(現・1勝クラス)のダート戦が再び逃げ切りで快勝するものの、続けて臨んだ京都4歳特別(G3、京都・芝2000m)では勝ち馬から0秒5差ながら9着に大敗……。
陣営はサンドピアリスは芝向きではないと判断せざるを得なかった。
そして、クラシック参戦が叶わなくなった彼女は、ここまでの強行ローテーションを考慮して夏休みに入ることに。休養を経て9月末に再始動したサンドピアリスだが、ダートの3戦を8、9、6着と連敗。一向に調子が上がらないままだった。
この結果を受けて陣営は次走も自己条件のダート戦を使う予定だったが、思わぬ連絡を受ける。収得賞金の関係で出走できるかできないかは抽選によることになるが、オーナーがエリザベス女王杯へ「出走する方向で登録してほしい」との意向を示してきたのだ。
クラブを立ち上げたばかりのオーナーは、どうにか一期生からG1の舞台に所属馬を上げてファンにピーアールしたいという思いがあった。
当時、ダート開催のJRA・G1は存在せず、調教師の吉永にしても、手綱をとる若武者・岸滋彦をG1に乗せてやりたいという思いを持っていて、出走登録を断る理由はなかった。どちらにしても抽選の結果次第という気楽さもあったのだろう。
そして出走登録を受け、抽選にかけられた結果、サンドピアリスはその関門を突破して出走枠20のなかに潜り込むことができた。
この年の3歳牝馬戦線は、桜花賞(G1)を若き天才・武豊の奇跡的な騎乗で制したシャダイカグラを中心に動いていた。オークス(G1)こそ伏兵のライトカラーにクビ差で差しきられて2着に敗れたが、このときの彼女の単勝オッズが1.8倍だったことが評価の高さを表している。
そのシャダイカグラは、秋の始動戦となったローズS(G2)を快勝。エリザベス女王杯に臨んできた彼女は単枠指定で大外の20番枠という不利なゲートに入ることになったものの、単勝オッズ2.2倍の1番人気に推された。
一方のサンドピアリスはというと、20頭立ての20番人気、つまり最低人気での出走となる。条件戦のダートを2勝してはいるが、芝のレースは3戦していずれも大敗。誰しもが「芝のG1では、この馬は要らない」と判断するのも当然のことだった。
しかし、競馬は本当に分からないものだ。
レースはレディゴシップの軽快な逃げではじまり、外からじわじわと加速したシャダイカグラは4番手付近の好位置をキープ。一方のサンドピアリスはG1のスピードに戸惑ったか、後方の15番手を追走した。
1000mの通過ラップが61秒1という淡々としたペースで進んだこのレースに異変が生じたのは第3コーナーすぎ。先頭に並びかけようかという勢いで軽快に疾駆していたシャダイカグラがズルズルと後退。鞍上の武が馬を止めようと手綱を引いている様子を見ると、故障を発症したのは明白だった。
ここからレースは一気に乱戦となる。
直線へ向いて10番人気のヤマフリアル、15番人気のホウヨウファイナルなどの人気薄が鍔迫り合いを繰り広げるが、その外からひときわ目立つ脚色で突っ込んで来たのが何と最低人気のサンドピアリスだった!
サンドピアリスはインコースで争う集団を豪快に飲み込むと、2着のヤマフリアルに1馬身差を付けて驚天動地の勝利を挙げたのである。
関西テレビで中継を担当していた杉本清が、ゴール前で抜け出した彼女を見て目を疑い、「しかしびっくりだ、これはゼッケン番号6番、サンドピアリスに間違いない!」と、自身の見間違いではないことを確認するようなアナウンスをしたことも知られている。
一方、シャダイカグラは入線こそしたものの、大差の最下位に終わった。レース後の診断で右前脚の繋靭帯断裂を発症していたことが分かった(競走能力は喪失したが、生命に問題はなかった)。
勝利ジョッキーインタビューに立った、まだ表情に幼さを残す19歳の岸は、「重賞に何度も乗せてもらって勝てなかったのに、ここでG1を勝てたのは本当に信じられません」と呆気にとられた様子で応答。しかし一方で、インタビュアーにどのあたりで勝てると思ったかと訊かれると、「4コーナーを回ったあたりですごく手応えが良くて、これなら勝てるかもしれないと思いました」という豪胆なコメントも残している。
しかし、20番人気、10番人気、14番人気と入線して、大荒れとなったこのレース。1989年当時、JRAの連勝式馬券は枠連しかなかったので払戻金は8460円にとどまったが、もし3連単があったら…という試算が繰り返されるようになり、単勝人気やオッズをもとにした計算によると、7000万円(70万倍)近かったのではないかというのが有力な説となっている。
そして、もう一つ。サンドピアリスがレースに出てくるたびに競馬ファンが口にした昭和のおやじギャグがあった。
「二度あることはサンドピアリス」
そして彼女は、引退レースとなった1991年の京都記念(G2)で9番人気ながら2着に突っ込んで、枠連7810円という波乱を巻き起こしてターフを去ったのだった。(一部敬称略)
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