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皇帝シンボリルドルフは何故、天皇賞・秋(G1)で敗れたのか。単勝88.2倍の格上挑戦馬にまさかの後塵…競馬から「絶対」が消えた日【競馬クロニクル 第28回】

皇帝シンボリルドルフは何故、天皇賞・秋(G1)で敗れたのか。単勝88.2倍の格上挑戦馬にまさかの後塵…競馬から「絶対」が消えた日【競馬クロニクル 第28回】の画像1

「競馬に絶対は無いが、この馬には絶対がある」

 大言壮語と取られかねないこの言葉を発したのは、騎手時代から華麗なフォームで勝ち鞍を積み上げ、またエスプリのきいたコメントでマスメディアへのリップサービスを欠かさなかったことなどから“ミスター競馬”のニックネームでリスペクトされた野平祐二である。

 そして野平が調教師に転じて、騎手時代からの盟友であるシンボリ牧場の和田共弘から託されたのが、冒頭のフレーズで「この馬」と呼ばれたシンボリルドルフだ。

 冠号の「シンボリ」に、神聖ローマ帝国の君主の名「ルドルフ」(正確には「ルドルフ1世」)を付けるかたちで命名された優駿は、その桁違いの強さも相まって、しばしば“皇帝”という愛称、否、敬称でも呼ばれた。

 無敗の8連勝でクラシック三冠を制覇(無敗での達成はJRA史上初)。激しい下痢に襲われるなど、体調が優れないまま参戦を強行したジャパンCこそカツラギエースの逃げ切りで3着に敗れたものの、続く有馬記念ではそのカツラギエースに2馬身差をつけてレコードタイムで圧勝。3歳にして”皇帝”の座に就いた。

 4歳となった1985年の春も出だしは順調だった。始動戦の日経賞を楽勝すると(単勝は100円の元返し)、続く天皇賞・春も2着のサクラガイセンに2馬身半の差を付けて格の違いを見せつけた。

 しかしこのあと、シンボリルドルフ自身に、また周囲の関係者のあいだから暗雲が漂いはじめる。

 6月の宝塚記念に出走する方向で阪神競馬場に入厩するが、そこでの調教中に転倒するトラブルが起き、和田が馬場管理の不備に激怒したのが第一幕。そして、事前から体調が万全でないことを見抜いて回避を勧める野平と、出走させるべきだと主張する牧場スタッフのあいだで意見が衝突。

 結局、和田が二人を執り成して、レース前日の土曜日に「出走取消」の届けを出して出走を取りやめた。同時に、宝塚記念を勝って海外遠征に向かうという事前のプランも白紙となった。

 そのあと休養に入ったシンボリルドルフは、調整に手間取ったこともあり、復帰戦を天皇賞・秋に定めた。当時はトップホースが取る例が極めて少ない、いわゆる“ぶっつけ本番”での参戦である。

 しかし、陣営は泰然自若の構えだった。

 シンボリルドルフは千葉県成田市にある新堀牧場を、いわば「外厩」と位置づけて、馬をリラックスさせるとともに、立派な調教施設でびっしりと調教を積むことができたからだ。そこへは野平もしばしば訪れ、自らルドルフの調教に跨ることも少なくなかったという。

 つまり、シンボリルドルフはきっちりと仕上がっており、“ぶっつけ”のリスクなど関係ないと自負していたわけである。

 そこで飛び出したのが、文頭に挙げた野平の発言だったのだ。

 ただ筆者は、この超強気なコメントは天皇賞・秋をより盛り上げるための、野平の語りの特徴である幾分かの茶目っ気も含まれた、一種のリップサービスだったのではないかと考えている。

 迎えた天皇賞・秋。4カ月余りの休養明けとなったシンボリルドルフは、コース形態から外枠が圧倒的に不利とされる東京の2000m戦でよりによって大外の17番枠に入ってしまったが、それでも単勝オッズ1.4倍の1番人気に推されてゲートに収まった。

 リキサンパワーやスズマッハなどが逃げるなか、やや躓き気味のスタートとなったルドルフは後方の外目で第2コーナーを回る。

 隊列が長めになったところで、馬群の外から位置を上げていったのは単枠指定のピンク帽。岡部幸雄が手綱をとるシンボリルドルフは普段より前進気勢の強い走りではあったものの、強気の競馬で最終コーナーを回るころには2番手まで位置を押し上げていた。

 そして直線。先行馬をラクに交わすが、そこからなかなか迫力ある伸びが見られず、外から岡部の同期にしてライバルの柴田政人が乗るウインザーノットに激しく迫られる。それでルドルフの闘志に火が点いたか、ウインザーノットを競り落とし、これで勝負は決まったかと思われた。

 しかしそこへ、大外から思わぬ伏兵が強襲してきた。

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撮影:Ruriko.I

 単勝13番人気のギャロップダイナがその馬だ。先頭に立った“皇帝”とはまったく勢いの違う脚色でそれを交わし、半馬身差を付けてゴールへ飛び込んだ。“天馬”と呼ばれたトウショウボーイの記録を0秒2も更新するコースレコードでの勝利だった。

 誰もが「まさか」と思った。そして、民放テレビの中継アナウンサーが発した「アッと驚くギャロップダイナ」というフレーズは、こののちビッグレースで大本命を穴馬が下した際に「アッと驚く○○」としばしば援用されることにもなった。

 あとになって冷静に見ると、シンボリルドルフの積極策が強引さに傾いたがゆえの結果、と見ることもできる。しかし“皇帝”とまで呼ばれる絶対王者を破るのが単勝オッズ88.2倍の格下馬とは、誰もがただただ驚くしかなかった。

 当時のギャロップダイナは、ダートのフェブラリーH(G3)で2着に、京王杯スプリングC(G2)で3着に入ったことはあったものの、当時あった降格制度(古馬は夏開催に入る週に獲得賞金を半額で計算し、下のクラスのレースに出走できる特典)によって1400万下(現・3勝クラス)に降格。

 実際に天皇賞の前走では、1400万下のアジア競馬会議25周年記念に出走しており、このレースを2着に敗れたため、厩舎サイドは次走も1400万下の適鞍を選んで使うつもりでいた。

 しかし、社台ファームの吉田善哉が盟友である和田共弘のシンボリ牧場の向こうを張ってギャロップダイナを使いたいと調教師の矢野進に連絡。急きょ“格上挑戦”で天皇賞へ向かうことになった。

 ギャロップダイナに騎乗した経験を持つ騎手に先約があったため、いわゆる“代打騎乗”で世紀の大金星を挙げた根本康弘は、のちにゴールした瞬間をこう語っている。

「今、左わきに見えたのはルドルフの勝負服だよな。まさか、と思ったんだけど。あら、勝っちゃった、って」

 言わば、シンボリルドルフが敗れると思っていた関係者、ギャロップダイナが勝つと思っていた関係者、いずれもが存在しないという不思議なレースとなったのが1985年の天皇賞・秋だったのだ。

 シンボリルドルフを幼駒時代から追い続けていた写真家の今井寿惠はレース後、厩舎を訪ねてカメラを構えたとき、彼の瞳が濡れていることに気付いたという。それが涙なのか、また涙だとして何ゆえの涙だったのかは分からない。

 その後、シンボリルドルフは本調子を取り戻してジャパンC、有馬記念を連勝。ギャロップダイナも翌年の安田記念に優勝し、天皇賞制覇が単なるフロックでなかったことを証明したのだった。

三好達彦

三好達彦

1962年生まれ。ライター&編集者。旅行誌、婦人誌の編集部を経たのち、競馬好きが高じてJRA発行の競馬総合月刊誌『優駿』の編集スタッフに加わり、約20年間携わった。偏愛した馬はオグリキャップ、ホクトヘリオス、テイエムオペラオー。サッカー観戦も趣味で、FC東京のファンでもある。

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