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ミックファイアさえ霞む「女王」ロジータの最強伝説。牡馬三冠後、中央でオグリキャップと激突! 引退後、その名はレース名に【競馬クロニクル 第26回】

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ミックファイアさえ霞む「女王」ロジータの最強伝説。牡馬三冠後、中央でオグリキャップと激突! 引退後、その名はレース名に【競馬クロニクル 第26回】の画像1

 岐阜県の笠松競馬から中央競馬へと移籍して重賞を勝ちまくったオグリキャップが、一つ年嵩のタマモクロスと「世紀の芦毛対決」と呼ばれた激闘を繰り広げてファンを熱狂させた1988年。10月に川崎競馬場でひっそりと1頭の牝馬がデビューした。

 不良のダート900mの新馬戦を勝ち上がったその馬の名をロジータという。

牝馬なのに牡馬三冠ロジータの伝説

 フランスの作家、バルザックの小説にも用いられた『谷間のユリ』という名を背負ったロジータは、川崎の福島幸三郎厩舎へ入り、以後すべてのレースで手綱をとることになる所属騎手の野崎武司とコンビを組む。

 ただし2歳時は特に目立つこともなく、4戦2勝(2着1回、3着1回)という地味な成績で終えた。

 ちなみにロジータの父は、大井競馬から中央へ移籍して天皇賞・春など4つのG1級タイトルを手にしたイナリワンや、宝塚記念(G1)を制したオサイチジョージなど産駒が大活躍を見せ、1989年には大種牡馬ノーザンテーストを首位から引きずり下ろしたミルジョージ(中央+地方の総合成績)。

 競走成績は通算4戦2勝(骨折により引退)と目立つものではなかったが、ネアルコ(Nearco)→ナスルーラー(Nasrullah)→ネヴァーベンド(Never Bend)→ミルリーフ(Mill Reef)という、競馬史的に屈指の成功を収めているサイアーラインの血統的価値を買われ、日本へと輸入された。

 ただ輸入当初の評価は競走成績の貧弱さもあって芳しくなく、アラブ(※1)が交配相手になることも珍しくなかった。

 しかし、これが血統の持つ底力なのだろうか。船橋競馬所属のロッキータイガーが帝王賞など、南関東のビッグレースを多数制する活躍を見せて父の評価を上げると、地方代表として出走した1985年のジャパンC(G1)ではシンボリルドルフの2着に食い込む激走。父ミルジョージの名は、特に生産界の間で一気に広まった。

 その流れを受けてミルジョージを種付けし、母メロウマダングが北海道・新冠町の高瀬牧場で産み落とした牝駒がロジータだった。

 3歳になったロジータは、天賦の才を一気に開花させる。1月のニューイヤーC、2月の京浜盃と重賞を2連勝すると、4月には南関東の牝馬三冠の初戦となる浦和桜花賞も2着に2馬身半差を付けて楽勝。陣営はこの勝ちっぷりの良さに突き動かされ、以後、ロジータを牡馬三冠に挑ませることを決める。

 浦和桜花賞から約1カ月後の5月10日、一冠目の羽田盃(大井・ダート2000m)で単勝1番人気に推されたロジータは、前哨戦の黒潮盃を制して臨んできたトウケイグランディに半馬身差を付けて優勝した。

 そして6月8日。二冠目の東京ダービー(大井・ダート2400m)へと向かったロジータは、中団を抑え気味に進んだが、第3コーナーすぎから外を通って一気に進出。先団にならびかけて直線へ向くと、ラクな手応えで先頭へと躍り出て後続を突き放し、2着に3馬身差を付けてゴール。牡馬を相手に堂々と二冠制覇を達成したのだった。

 次走の報知オールスターC(川崎・ダート1600m)は前走比+7㎏の重め残りもあってか、古馬牝馬のダイタクジーニアスから1馬身差の2着に敗れたが、陣営は胸に秘めていた次なる野望へと歩を進めた。JRAのオールカマー(当時G3、中山・芝2200m)で権利を得て、ジャパンC(東京・芝2400m)への出走を目指すというプランだった。

オグリVSロジータ 中央で伝説の地方馬が激突!

 1989年のオールカマーは特別なレースだった。前年の有馬記念(G1)でタマモクロスを抑えて勝利を挙げた後は、繋靭帯炎など脚部不安を発症したこともあり、上半期を全休したオグリキャップが満を持してターフに戻って来たからだ。

 この日、中山競馬場のパドックでは珍しいことが起きた。オグリキャップが姿を現すと、「ほー」というため息が方々から聞こえたあと、どこからともなく拍手が起こり、それがパドック全体を包んだのである。感動的なシーンだった。大概長いあいだ競馬を見続けてきたが、こんな経験をしたのは一度だけである。

 単勝3番人気とはいえ脇役に追いやられた感があったロジータだが、初の芝コースでも力を出し切った。

 スタートから積極的に位置を取りにいったロジータは3番手をキープ。南関競馬のファンの夢を乗せて直線を向くと、中団から伸びてきたオグリキャップと一瞬だけ馬体を併せるシーンもあったが、脚色の違いは歴然。オグリキャップは悠々とトップでゴールを駆け抜け、ロジータは末が鈍って0秒7差を付けられ5着に終わった。

 それでも大挙5頭が参戦した地方競馬所属馬では最先着を果たし、ジャパンCへの出走権を手にするというタスクはしっかりとクリアした。

 南関東(大井、川崎、船橋、浦和)の三冠レースは1989年当時、5月の羽田盃、6月の東京ダービーが春季に行われ、三冠目の東京王冠賞(大井・ダート2600m)のみ11月施行だった(その後、2001年から本年まで三冠目は7月に大井のダート2000mで行われるジャパンダートダービーに変更。トーシンブリザードやミックファイアがこれを制して三冠馬になった)。

 そのためロジータは“ホーム”のダートに戻ると、3万人超のファンを集めて11月3日の東京王冠賞に出走。道中は後方に控え、2周目の第3コーナーから馬群の外から位置を押し上げて3番手で直線へ向いた。逃げるトウケイグランディも粘りに粘るが、ロジータはそれをじわじわと交わして先頭に立つと、1馬身のリードを守って優勝。牝馬にして見事に南関東の三冠制覇を達成した。

 そして再び矛先をJRAへと向け、果敢にジャパンCへと臨んだロジータだったが、ゲートインしたのがこの年だったこと自体に運がなさすぎた。

ミックファイアさえ霞む「女王」ロジータの最強伝説。牡馬三冠後、中央でオグリキャップと激突! 引退後、その名はレース名に【競馬クロニクル 第26回】の画像2
撮影:Ruriko.I

 ニュージーランドから来日した牝馬のホーリックスと、前週のマイルCS(G1)から連闘で臨んだオグリキャップの2頭が繰り広げた希有な激闘として競馬史に残る第9回ジャパンC。

 それまでのコースレコード(2分24秒9)を一気に2秒7も縮める2分22秒2という驚異的な走破タイムが記録され、13着のバンブーメモリー(2分24秒2)までが旧来のレコードタイムを上回り、ブービーの凱旋門賞馬キャロルハウス(2分24秒9)がタイ記録だったのだから、いかに尋常じゃないレースだったかが分かるだろう。

 地方競馬ファンの夢を乗せて“世界の舞台”に臨んだロジータだったが、慣れないハイペースに付いていけず、最後は脚が上がってしまった。直線半ばからは鞍上が無理に追わなかったこともあり、最下位の15着に敗れてしまった。

 しかし、どの世界においても「マニア」と呼ばれる探究者は、いつも細部まで見逃さない怖しい存在である。

 このときのロジータの走破タイムである2分26秒9が、同年のオークス(G1、2分29秒9/稍重)、日本ダービー(G1、2分28秒8/良)を大幅に上回っていることを少なくないマニアックな競馬ファンが発見。両者を同じテーブルにのせて議論することの無意味さは分かった上で、「今年の3歳最強馬はロジータだ!」という冗談とも本音ともつかないファンタスティックでクレイジーな言説が、主に酒席で交わされていたことを思い出す。

 ロジータはその後、年末の東京大賞典(大井・ダート2800m)で、岩手から移籍した強豪スイフトセイダイ以下を“馬なり”で撫で切りにして快勝。3歳のみならず、南関東最強馬であることを謳い上げた。

 3歳のうちにいくつもの栄光を手にし、果敢なチャレンジも遂行したロジータ。オーナーの加藤富保と生産した高瀬牧場は協議の末、年明けに所属する川崎競馬の看板レース、川崎記念(川崎・ダート2000m)を最後に引退させ、繁殖入りさせることを発表した。

 1990年2月12日。“最強馬”のラストランを見届けようと多くのファンが詰め掛け、当時の川崎競馬場の入場レコードを更新する大混雑となった。

 また、ロジータの単勝オッズは馬券の発売が始まるや、すぐに1.0倍、いわゆる「元返し」であることが示され、締め切りまでその数字は変わることがなかった。ちなみ他の出走馬7頭の単勝オッズはすべて万馬券という“異常事態”となっていた。

 レースは驚愕の内容だった。

 いつもどおり中団の後ろ目でレースを進めたロジータは、2周目の向正面から徐々に位置を上げ、直線の入り口で先頭に並びかけると、あとはワンサイドゲーム。手綱を握る野崎の手はスタートからゴールまでまったく動くことなく、2着に8馬身、タイムにして1秒6もの差を付け、ファンの歓声と拍手を浴びながら最後のゴールを切った。

 アスリートの引退発表のときに「まだ引退は早すぎる」という常套句が使われるが、このときのロジータには、そのフレーズは嘘偽りなく相応しい言葉だった。

 オーナーや生産者の思いを反映してか、ロジータは母になってからも優秀な成績を残している。

 カネツフルーヴ(牡、父パラダイスクリーク)は帝王賞(G1)、川崎記念(G1)の母子制覇を達成(引退後に種牡馬入り)。イブキガバメント(牡、父コマンダーチーフ)は、朝日チャレンジCと鳴尾記念(ともにG3)と芝適性も見せた。

 阪神3歳牝馬S(現・阪神ジュベナイルF/G1)で1番人気に推されながら大敗したシスターソノ(牝、父ナスルエルアラブ)の競走成績は優れなかったが、繁殖入りしてから母としてのポテンシャルを発揮し、ダービーグランプリ(G1)、川崎記念、JBCクラシック(G1)を制したレギュラーメンバー(牡、父コマンダーインチーフ)を輩出。地方競馬で重賞勝ちする産駒を数多く出した。

 もうロジータの現役時代を知るファンも少なくなっただろうが、私見だが、彼女は紛れもなく「伝説の名牝」だと思う。

 いまも彼女の名は、その偉業をたたえて1990年に設けられた川崎競馬場の牝馬限定重賞「ロジータ記念」というレース名として刻み込まれている。(文中敬称略)

(※1)「アラブ」とはウマの品種の一つで、体躯はサラブレッドよりやや小柄で、走力もそれに劣るが、頑強であることが特徴。日本ではサラブレッドと交配された「アングロアラブ」が主流で、サラブレッドの生産頭数が十分でなかった時代、アラブの限定競走が多数行われ、地方競馬ではアラブのみで施行される競馬場もあった(広島県の福山競馬など)。サラブレッド資源が充足するに従って生産頭数が減り、施行されるレース数も段階的に減らされ、2013年が最後の出走となった。

三好達彦

三好達彦

1962年生まれ。ライター&編集者。旅行誌、婦人誌の編集部を経たのち、競馬好きが高じてJRA発行の競馬総合月刊誌『優駿』の編集スタッフに加わり、約20年間携わった。偏愛した馬はオグリキャップ、ホクトヘリオス、テイエムオペラオー。サッカー観戦も趣味で、FC東京のファンでもある。

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