過去達成はゼンノロブロイ、テイエムオペラオーのみ! 今となっては逃亡者続出で閑古鳥…武豊キタサンブラックすら跳ね返された金字塔
時代を彩ったヒーローが1頭、この世を去った。
関係者の発表によると、2004年の年度代表馬ゼンノロブロイ(父サンデーサイレンス、母ローミンレイチェル)が今月2日、繋養先である北海道新冠町の村上欽哉牧場で息を引き取った。加齢による心臓機能の低下が死因と診断されている。
一般的に競走馬の寿命は25歳前後といわれているが、不慮の事故や突然の疾病で急逝することも珍しくない。
最近では、新種牡馬としてタイトルホルダーやスターズオンアースを輩出し、まだ9歳という若さに将来を嘱望されたドゥラメンテの早世を悲しんだファンも多かった。そういう意味では、22歳で天寿を全うしたゼンノロブロイは大往生といっていいだろう。
秋古馬三冠と評される最難関を無敗でクリア
そして、ゼンノロブロイを語るにあたって絶対に外せないのが、天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念といったG1を同年に全勝する偉業を成し遂げたことだ。いわゆる秋古馬三冠と評される最難関を無敗でクリアしたのは、本馬のほかにテイエムオペラオーしかいない。
過去にもブエナビスタやジェンティルドンナ、ラブリーデイなどが挑戦したが、あえなく撃沈。近年では2017年にキタサンブラックと武豊騎手とのコンビが挑み、天皇賞・秋と有馬記念を勝利で飾ったものの、ジャパンCを3着に敗れ、この偉業を達成することは叶わなかった。
国内最高レベルのG1を3戦するには強靭な精神力と肉体が求められ、ましてやトップクラスの強豪を相手に3戦続けて勝利することは、まさに至難の業だ。
前哨戦を使わずに、G1に直行することも珍しくなくなった近年でさえ、距離適性やコース適性、そして何よりダメージを考慮した陣営が挑戦を避けるケースも増えてきた。ハイレベルのメンバーが対決するレースを期待するファンの思いとは裏腹に、有力馬同士の直接対決を避ける使い分けなどの影響もあり、近年の秋古馬三冠挑戦はもはや閑古鳥が鳴いている状況にも近い。
その一方、これだけの偉業を成し遂げたゼンノロブロイだが、意外にも生涯で手にしたG1タイトルは秋古馬三冠の3つのみ。関東の名門・藤沢和雄厩舎の期待馬として青葉賞(G2)経由で臨んだ日本ダービー(G1)は、この年の二冠馬ネオユニヴァースの2着、ラスト一冠を懸けた菊花賞(G1)でもザッツザプレンティの後塵を拝していた。
3歳で少し足りなかった馬が、翌年に大記録を達成できた背景には、当時無敵を誇った厩舎の先輩シンボリクリスエスの引退や、名手であるO.ペリエ騎手の好騎乗も大きかったか。勿論、古馬となったゼンノロブロイから、それまで見せていた詰めの甘さが解消され、本格化を遂げていたことも飛躍のきっかけといえる。
翌年の2005年にも古馬三冠へ挑戦したゼンノロブロイだが、善戦したものの1勝(天皇賞・秋=ヘヴンリーロマンスの2着、ジャパンC=アルカセットの3着、有馬記念=ハーツクライの8着)も挙げることはできなかった。
ラストランとなった有馬記念には、本格化したハーツクライや無敗の三冠馬ディープインパクトが出走。2年前の同レースで10馬身近く離されたシンボリクリスエスが不在となった04年は、これらに比べると与し易い相手だったことは確かだ。
だが、そんな最大のチャンスをしっかりモノにしたゼンノロブロイの金字塔は、これからも中央競馬の歴史として語り継がれていくに違いない。
現在、大ヒット中の『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)にも、本馬をモデルにしたキャラクターが登場しているゼンノロブロイ。姿を変えてもファンの記憶に残る名馬として愛され続けるだろう。