JRA最低人気馬が「2万5750円」の大波乱を演出! 単勝万馬券に本命党は茫然自失…… 引退する石坂正調教師の起こした「衝撃」のファーストインパクト
28日をもって引退する8名の調教師、蛯名正義騎手の引退が発表されているが、いずれも競馬界の発展に多大な影響を与えた功労者である。
その中の一人、石坂正調教師はJRA通算690勝(※22日現在)を挙げるなど関西の名伯楽の一人として知られている。石坂師の管理馬といえばやはり筆頭に上がるのはジェンティルドンナだろう。同馬は2012年に牝馬三冠を達成、この年のジャパンC(G1)では凱旋門賞帰りの三冠馬オルフェーヴルを相手に大金星を挙げ、年度代表馬にも選出された名馬。14年にも二度目の年度代表馬の称号を手に入れると、16年にはJRA顕彰馬にも選出された。
石坂師はそれ以外にもダイタクヤマト、アロンダイト、ヴァーミリアン、アストンマーチャン、ブルーメンブラット、シンハライト、モーニンなど多くのG1馬を世に送り出したが、調教師となって初のG1制覇を成し遂げたのはダイタクヤマト。他の馬がどちらかというと人気サイドで優勝したのに対し、ダイタクヤマトの勝利は異質なものだった。それは今を遡ること21年前のスプリンターズS(G1)での出来事である。
当時の石坂師は1997年に調教師免許を取得してまだ駆け出しといえる頃。ダイタクヤマトは助手を務めていた橋口弘次郎厩舎から独立の際、橋口師からご祝儀として譲られた馬である。
当時、ダイタクヤマトは自己条件クラスの馬。石坂厩舎所属となってから徐々に成績を上げて2000年の春には高松宮記念(G1)に出走するまで力をつけた。キングヘイローが優勝したこのレースを13番人気で11着に敗れたが、これは秋の大活躍への布石だったのかもしれない。
その後も休むことなく4戦したダイタクヤマトは、秋のスプリンターズSに挑戦した。この年のスプリンターズSには世界的なスプリンター・アグネスワールド、前年の勝ち馬ブラックホーク、2年前の勝ち馬マイネルラヴ、春の高松宮記念を制したキングヘイローなど多くの実力馬が参戦。重賞では夏の函館スプリント(G3)の2着があったものの、直前のセントウルS(G3・当時)で7着のダイタクヤマトは16頭立ての最低人気。単勝オッズ257.5倍の人気薄ではノーマークだったのも無理はない。
しかし、そんな低評価を嘲笑うかのように、G1挑戦二度目となったこの舞台で、ダイタクヤマトは一世一代の大駆けを披露する。ユーワファルコンの逃げる展開を2番手につけると積極果敢に4コーナー先頭に躍り出る。想定外の馬の予期せぬ粘り腰に、好位5番手から追走した1番人気アグネスワールドも並び掛けることができない。懸命に追い上げた2番人気ブラックホークも捉えることができないまま、ゴールまでダイタクヤマトの逃避行は続いたのだった。
同馬はここまで中山・芝1200mを2戦2勝と無敗。また、前日の雨の影響で稍重ということもあり、前の馬に有利な馬場状態だったことも後押ししただろう。
かといって、これがまったくのフロックだったのかというとそうでもない。敗れたとはいえアグネスワールド、ブラックホークが2、3着なのだからスプリント界の横綱相手に堂々と勝利したといっても過言ではないのだ。
その証拠に次走のスワンS(G2)を59キロの斤量を背負いながら8番人気で勝利。6番人気で4着のマイルCS(G1)、翌年2月の阪急杯(G3)では真っ向勝負でブラックホークを退けたことでも実力を証明して見せた。
後に競馬界を席巻することになる石坂厩舎に初重賞及び初G1をもたらしたダイタクヤマトは、師から譲り受けた自己条件馬を見事G1馬へ育て上げた師弟による”絆の賜物”だったといえる。