JRA武豊もデビュー3年目で決断! 海外「武者修行」を決めた団野大成が拠点とするのは川田将雅もお世話になった名門厩舎
デビュー3年目の団野大成騎手が、夏競馬終了後に渡欧。約2ヶ月間に渡り、海外で武者修行することが発表された。行き先は、近代競馬発祥の地として知られるイギリス。同国の名門ロジャー・ヴェリアン厩舎の調教などを手伝う予定だ。
同厩舎は3年前の2018年に、名実ともにトップジョッキーに成長した川田将雅騎手も世話になった厩舎だ。
当時の川田騎手も、団野騎手の予定と同じく約2ヶ月間滞在。イギリスをはじめとする10数カ所の競馬場を転戦して1ヶ月で4勝をマークしている。過去のインタビューでは「(当時のイギリス遠征は)とてもいい勉強になった」と語った川田騎手。関係者の間では、このときのイギリス遠征からより一層、川田騎手の騎乗技術に磨きがかかったという声も多い。
一方の団野騎手は、デビュー3年目で海外競馬に初挑戦。同じくデビュー3年目にして海外競馬に初チャレンジした騎手といえば、やはり武豊騎手を紹介しないわけにはいかない。
説明不要のレジェンド。4000勝ジョッキー武豊騎手も、実はデビュー3年目にして海外競馬を“初体験”していた。
1987年にデビューした武豊騎手は、1989年の夏にアメリカで海外初騎乗。初めて見る海外のジョッキーたちに目を奪われたといい、真似したり、自分なりにアレンジして、少しずつ騎乗フォームを変えたという。
初騎乗は同年8月31日。7着に終わったものの、2戦目の9月2日には、さっそく初勝利をマーク。まだデビュー3年目で、こうした試行錯誤を繰り返していたにも関わらず、すぐに勝利する“順応性”の高さは、天才といわれる所以だろう。
この年から、毎年のように海外へと赴いた武豊騎手。2年後の1991年には、アメリカのセネカハンデ(G3)で優勝。自身初の海外重賞初勝利を果たしている。
さらに1994年には、スキーパラダイスとのコンビでムーラン・ド・ロンシャン賞(仏G1)を制覇。日本人騎手として初となる“国外”G1優勝を飾った。ちなみに同年、ホワイトマズルで凱旋門賞に初騎乗。結果は6着も、大きな足跡を残した。
その後の海外での活躍はご存知のとおり。フランスではすでに70勝以上を記録。アメリカでも20勝以上、近年ではUAEや香港など、アジア圏での勝利も積み重ねている。
団野騎手に話を戻せば、今回はビザの関係でレースに騎乗できないこともあり、同じくデビュー3年目で海外武者修行を決断した武豊騎手と、同じような活躍を求めるのは酷というものだろう。
しかし武豊騎手がそうだったように、海外で初めて目にする騎手の動きや、そのほか日本の競馬では体験できないさまざまな経験を得るチャンスであることは間違いない。
「若いうちに海外で、いろんなことを勉強していきたい」とコメントした団野騎手。デビュー3年目の若手騎手の決断が、後に大きな英断となることを祈りたい。(文=鈴木TKO)
<著者プロフィール> 野球と競馬を主戦場とする“二刀流”ライター。野球選手は言葉を話すが、馬は話せない点に興味を持ち、競馬界に殴り込み。野球にも競馬にも当てはまる「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」を座右の銘に、人間は「競馬」で何をどこまで表現できるか追求する。