武豊騎手「過去との再会」 天皇賞に挑むエイシンヒカリと”悲劇の名馬”の数奇な運命
11日、中央競馬・東京競馬場第11R「毎日王冠(G2)」で、武豊鞍上のエイシンヒカリ(牡・4歳)がスタートから一度も先頭をゆずらないまま逃げ切り勝ちを収めた。同馬は通算戦積を9戦8勝とし、11月1日に開催される「天皇賞・秋(G1)」に主役として出走を予定している。
エイシンヒカリはデビュー戦以外の全レースで「逃げ」を選択し、大きく外にヨレたり気性が荒かったりするなかで完勝を続け、豪華メンバーだった毎日王冠も圧勝するなど、話題に事欠かない。そして、そんな同馬を導くのは”競馬界の顔”武豊……。
往年の競馬ファンであれば誰もがピンとくるかもしれないが、かつて中央競馬の話題を独占した”稀代の逃げ馬”と、現在のエイシンヒカリの状況はあまりにも似通っている。
1998年、同じく11月1日に開催された天皇賞・秋に武豊騎乗で出走したのが、サイレンススズカだった。その年、サイレンススズカは夏の「宝塚記念(G1)」をふくめ重賞を6連勝中。その全てで爆発的な逃げ脚を発揮し、1頭として同馬の前を走ることはできなかった。無謀ともいえるハイペースで逃げてもスピードが落ちないその力に、武豊も心底惚れ込んでいたという。
天皇賞の前哨戦である毎日王冠(G2)でも、後に史上屈指の名馬となる後輩たちを軽くあしらう驚愕の逃げ切り。天皇賞も圧勝だ、と誰もが信じて疑わなかった。そして本番、サイレンススズカはいつもどおりの大逃げを打ち、後続との差は10馬身以上。圧倒的なスピード差に大観衆の凄まじい歓声が響いたのだが……。
サイレンススズカは最後の直線手前で突如失速。左前脚の手根骨粉砕骨折を発症し競走中止、最終的に安楽死の措置がとられた。骨折の瞬間、実況は同馬の父、サンデーサイレンスになぞらえて「沈黙の日曜日」と叫んでいる。
翌年の海外での活躍が期待され、血統的にも種牡馬として大きな成功の見込めたサイレンススズカの死に、多くのファンは言葉がなかっただろう。そして同馬を誰よりも知る武豊は、その夜生まれて初めて泥酔したという。推し量れないほどのショックを受けていたのは確かだ。
そして2015年、レーススタイル、毎日王冠の強い勝ち方、そして開催日まで同じ状況で、武豊がエイシンヒカリと天皇賞に挑む。運命的なものを感じずにはいられない。
「武騎手が強い逃げ馬に乗って『サイレンススズカの再来』と呼ばれたのは、一昨年の天皇賞に出走したトウケイヘイローなどが主ですが、ここまで似ている馬は初めてですね。スズカファンの中には『一緒にするな』という意見もあるものの、今年の天皇賞の主役になるのは間違いありません。武騎手にしても感慨深いものがあるはず。最近のインタビューでも、当時の質問を拒否する場面があったそうですし、いろいろな意味で忘れられない馬なんですね」(競馬記者)
一時調子を落としながらも、不死鳥のように復活し、勝ち鞍を重ねる名手に訪れた「過去との再会」。願わくば、勝利をつかんで悲劇との決別を果たしてほしいものだが、まずは無事にレースを終えてくれることを祈るばかりだ。