C.ルメールが武豊らを全否定!? 「馬のことをわかっていない」国民的英雄ディープインパクトを破った「伝説の有馬記念」を語る
3歳春に京都新聞杯(G2)で重賞初勝利。続く日本ダービー(G1)では2着に好走し、秋の菊花賞(G1)では1番人気に支持されたハーツクライ。「いずれG1を勝てる」と期待された素質馬だった。
だがその後、宝塚記念(G1)とジャパンC(G1)で2着するも、G1どころか勝利さえ上げることなく4歳秋を迎える。そんなあと一歩足りない悩める素質馬の”再建”を託されたのがルメール騎手だった。
しかし、当時のルメール騎手もまた、あと一歩足りない悩める騎手だった。
2002年の来日初騎乗から3年。すでにその腕は誰もが認めるところとなっていたが、日本のG1に限っては9戦して勝利なし。それも5度の2着を記録するという、人馬共にG1を勝ち切るには「何かを変える」必要があったコンビといえた。
コンビ初戦となった秋の天皇賞、ジャパンCと共に2番人気に推されながら、勝ち切ることができなかったハーツクライとルメール騎手。特にジャパンCでは自身もレコードタイムで駆け抜けているにもかかわらず、英国のアルカセットにハナ差だけ及ばない悔しい敗戦となっていた。
そんな中で迎えた年末の有馬記念。対談の中でルメール騎手が「有馬記念を観に来たお客さんは、みんな三冠馬ディープインパクトを応援していました」と語ったように、状況はまさにディープインパクト一色。ハーツクライは4番人気ながら単勝は17.1倍と、やはり”脇役”の域を出ない1頭だった。
ただ、その一方でルメール騎手は意外な発言をしている。
当時、まだ負けなしと無双状態だったディープインパクトに対して「もちろん勝てる自信はあった」と発言。逆に周囲がディープインパクト一色であったため、それで「少し不安だった」というのだ。