「武豊と欧州制覇」への足がかり? 「キーファーズ2頭」がフランス遠征、その意図は?
2015年11月、新馬戦は武豊騎手を乗せ、ハナを切って逃げ切り勝ち。スピードがあるところを見せた。翌年、2戦目でシンザン記念(G3)に挑戦するも出遅れて13着敗退。そのあともクラシックロードに乗れず放牧に出される。
秋に帰厩するも500万下を脱出するのに3戦を要し、1000万下クラスでは3戦使っても脱出できず。降級制度で500万下に戻ったが4戦しても脱出できないという悪いスパイラルにハマったままでいた。
ここで陣営はこれまで中距離を使ってきたが、思い切って芝2400mを試すことにする。武騎手も新馬戦以来の逃げで、これがドンピシャに嵌り2馬身1/2差の逃げ切り勝ち。500万下クラスを脱出した。
その強さがフロックではない証拠に、次走の1000万下で芝2200mを逃げてみせ、最後ハナ差敗れた惜しいレース。上のクラスでも通用する逃げであることに間違いはなかった。
「距離を伸ばして正解でしたね。ラルクは揉まれ弱いところがあって馬込みの中で競馬ができません。これまで武騎手は先行するレースをしていました。しかし、まったく揉まれない逃げこそがベストだったのでしょう」(同ライター)
松島氏の「武豊騎手を乗せて凱旋門賞へ行く」という夢の実現のためとはいえ、まだ条件馬である2頭をフランスへ持っていく意味は何であろうか?
「2頭とも母が海外の活躍馬なので、その仔であれば海外の馬場適性はあるはずですから、早く海外の競馬を経験させて慣れさせたい、ということではないでしょうかね。日本で実力つけてから、と思っていた陣営でしたが、残念ながら結果が伴いませんので。