JRA「92年桜花賞馬ニシノフラワー逝く」西山オーナーはニシノデイジー曽祖母の名牝に「ありがとう」
92年の桜花賞馬ニシノフラワーが老衰のため、31歳でこの世を去ったことが、オーナーの西山茂行氏によりブログで発表された。
令和2年年2月5日、10時
平成3年阪神3歳牝馬S(G I)
平成4年桜花賞(G I)
平成4年スプリンターズS(G I)
その他全部で6つの重賞を勝利したニシノフラワーは、
本日、老衰のため、北海道西山牧場にて、31歳で旅立ちました。
たくさんの想い出がありすぎて、ここでは一言だけ。
ニシノフラワー、ありがとう。(原文ママ)
※西山茂行オーナーのブログより
91年阪神3歳牝馬S(G1、現阪神JF)、92年桜花賞(G1)、スプリンターズS(G1)とG1を3勝した名牝の死に一言だけ「ありがとう」と残した。
一言ではあるが、西山牧場としては開業25年目で初めてのG1優勝をプレゼントしてくれた思い入れのある馬である。想い出がありすぎるという言葉にすべてが集約されているかもしれない。
ニシノフラワーは父マジェスティックライト×母デュプリシト(母父ダンジグ)という血統。デビュー戦の札幌・ダ1000mを4馬身差で楽勝すると、続く札幌3歳S(G3)、デイリー杯3歳S(G2)を勝利。単勝1.9倍に支持された阪神3歳牝馬S(G1)では、サンエイサンキューやシンコウラブリイらの強豪を退けて4戦4勝の無敗でG1勝利を達成した。
翌年はチューリップ賞(G3)から始動し、単勝1.2倍の圧倒的な支持を受けたが、仕掛けが遅れた結果、馬群に飲み込まれてしまいアドラーブルの2着と初の敗戦を喫する。本番桜花賞では敗戦の責任を取った佐藤正雄騎手から「牝馬の河内」こと名手・河内洋騎手に乗り替わりとなり、チューリップ賞で後れを取ったアドラーブルに雪辱した。
ただ、短距離戦であまりにも強すぎたがゆえに、囁かれていたのが距離の限界でもあった。
次走、桜花賞の1600mから一気に2400mへと距離が延びたオークス(G1)ではアドラーブルの7着に敗れ、秋のエリザベス女王杯(G1)は3着と健闘したものの、短距離戦で見せた強さは鳴りを潜めてしまった。
再びニシノフラワーが輝きを取り戻したのは、札幌3歳S以来の芝1200mとなったスプリンターズS(G1)だった。フラワーはその後、マイラーズC(G2)を勝利したものの、翌年のスプリンターズSの3着を最後に引退。通算成績は16戦7勝。
繁殖牝馬としてはニシノセイリュウ(牡・父ブライアンズタイム)、ニシノマナムスメ(牝・父アグネスタキオン)を出したが、近年で話題になったのは、ひ孫にあたるニシノデイジー(牡4、美浦・高木登厩舎)の活躍だろう。同馬は18年札幌2歳S(G3)、東京スポーツ杯2歳S(G3)を制している。
競走馬が現役を引退してもその仔の代、孫の代と続けて我々ファンを楽しませてくれることは競馬の醍醐味であり、ブラッドスポーツといわれる所以でもあるのだろう。