「JRA馬主」志村けんさんの意外な一面 所有馬には武豊騎乗のサンデーサイレンス産駒も……
昭和、平成を代表するコメディアンのひとりである志村けんさんが、29日午後11時10分、新型コロナウイルスによる肺炎のため、亡くなっていたことがわかった。70歳だった。
志村さんは24歳でドリフターズに加入。中心メンバーとして活動した後にグループを飛び出し、個人で『志村けんのだいじょうぶだぁ』、『志村けんのバカ殿様』(ともにフジテレビ系)などの冠番組を持ち活躍。近年も『志村でナイト』(フジテレビ系)、『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)などのレギュラー番組を抱えていた。
また、志村さんは馬主としての一面も持っていた。本名である「志村康徳」名義で15頭を所有。馬名に自身の持ちギャグのひとつである『アイーン』をつけたオグリキャップ産駒のアインスピード、タマモクロス産駒のアインイチバン。さらにケンエックス、ケンノホシ、ケンノムスメなど、自身の芸名である“けん”を冠名として持つ馬もいた。
「勝負服も『黒、桃星散、桃袖』と自身が演じたキャラクターである『変なおじさん』の衣装を彷彿とさせるものでした。ただ残念ながら3度の2着はあったものの、所有馬で勝ち星をあげることはできませんでした。
所有馬の中では、良血馬アイーンベルに期待が集まりましたね。父サンデーサイレンス、母はアスタルテ賞(仏G2)を勝ったミスベルベールという血統。鞍上に武豊騎手を迎えたデビュー戦は1番人気に支持され、志村さんも競馬場に足を運び、スタンドで見守っていましたが、ハナ差で2着。
武豊騎手はレース後に『オーナーも来てくれてたから勝ちたかった。でもいい馬だし、楽しみはある。次は大丈夫だぁ』とウィットに富んだコメントを出していました。ですが、その後も勝ち上がることができず、地方競馬に転厩していました」(競馬記者)
地方でも勝利を上げることができなかったアイーンベルだが、血統面が評価されて引退後は繁殖入り。ローエングリンを父に持つ準OPのハウエバー、ヨハネスブルグ産駒でダートで頭角を現しつつあるヴィーダなどを輩出している。
その人柄から多くのファンから支持されていた志村さん。ご冥福を祈りたい。