JRA武豊「出来るだけ我慢した」ビワハヤヒデVSウイニングチケットの対決を外から切り裂いた93年ナリタタイシン! 皐月賞ウィークに死す
13日、93年の皐月賞を制したナリタタイシンが繋養先である北海道日高町のベーシカル・コーチング・スクールでこの世を去った。引退後は種牡馬となったが、活躍馬を輩出することができず、03年からは功労馬として余生を過ごしていた。
皐月賞ウィークに悲しい報せとなったが、天寿を全うできる競走馬の数は多くはない。今年30歳を迎え、死因が老衰だったことは、幸せな馬生を過ごせたといえるかもしれない。
ナリタタイシンは後にシャドーロールの怪物ナリタブライアンを管理することとなる栗東・大久保正陽厩舎所属として92年にデビューした。暮れのラジオたんぱ杯3歳S(当時)を制した。翌93年の弥生賞(G2・現ディープインパクト記念)では鞍上に若き天才・武豊を迎えて臨むも、ウイニングチケットの前に完敗を喫した。
この年の皐月賞は、名伯楽・伊藤雄二調教師が、柴田政人騎手にダービーを勝たせるために用意したとまでいわれたウイニングチケットが4連勝で弥生賞を制したことで単勝2.0倍の1番人気の支持を受けた。
これに続く単勝3.5倍の2番人気となったのは、関東の名手・岡部幸雄騎手が手綱を取るビワハヤヒデ。武豊人気で3番人気になったとはいえ、ナリタタイシンの単勝は2頭から大きく離された9.2倍に過ぎず、実質2強対決の下馬評となっていた。
レースはアンバーライオンが逃げ、有力各馬は揃って先行策を取った。ビワハヤヒデが前目に位置したこともあり、これをマークしていたウイニングチケットの仕掛けも必然的にワンテンポ早くなった。
直線に入り、満を持してビワハヤヒデがスパートする。ウイニングチケットは懸命に鞭を入れられるも弥生賞で見せた切れを欠き、伸び切れない。追いすがるガレオンを競り落とし、ビワハヤヒデが先頭に躍り出る。2強対決はビワハヤヒデに軍配が上がったと思われたのも束の間、外からまとめて交わし去ったのがナリタタイシンだった。
下馬評を覆す会心の勝利に、若き日の天才は「出来るだけ我慢して、馬を気分良く走らせることに専念した」と笑顔で答えた。
先行馬ばかりが独占した掲示板のなかで、レース展開とは真逆ともいえる最後方からの追込みを選択した大胆不敵な手綱捌き。溜めに溜めた末脚を直線で一気に爆発させた鮮やかな勝利は多くのファンを魅了した。
そして、武豊騎手はこれが皐月賞初勝利となり、ベガで制した桜花賞に続き2週連続のクラシック勝利となった。弥生賞の武豊が本番での脚を計るといわれはじめたのもこの頃からだろう。
皐月賞でナリタタイシンがビワハヤヒデ、ウイニングチケットを破ったことで「2強」から「3強」となり、「BNW」時代の到来を告げることになったのだった。
皐月賞初勝利から27年経った若き天才も今や競馬界のレジェンドとなった。
今年はマイラプソディとのコンビでどのようなマジックを魅せてくれるだろうか。