JRA競走馬登録はわずか1頭。“世界の”角居厩舎の先駆けハットトリックがサッカー王国から天国へ
来年2月一杯で解散が決定している角居勝彦厩舎。理由は実家の天理教の教会を角居調教師が継ぐためである。
角居調教師といえば、サンクスホースプロジェクトの発起人でもあり、調教師としてだけでなく、競馬界に多大な影響を与えた人物だ。また、調教師としてもシーザリオのアメリカンオークス(G1)、デルタブルースのメルボルンカップ(G1)、ヴィクトワールピサのドバイWC(G1)など、数々の海外G1を制したことは大きな功績だろう。
そんな角居厩舎で管理された海外G1馬・ハットトリックが、天国へと旅立った。
3日、繋養先であるブラジルのアラススプリングフィールドで、ハットトリックが種付け後に急死したことを南米紙ターフディアリオが報じた。
訃報を受けて、角居調教師は『日刊スポーツ』の取材に「残念です。能力はすごいものがありました。ただ、それを引き出せてあげられなかったという思いがあります。いろんな経験をさせてくれました」とコメントを発表した。
3歳秋に角居厩舎へ転厩したことをきっかけに、ハットトリックの快進撃は始まった。2連勝でオープン入りを果たすと、勢いそのままに京都金杯(G3)、東京新聞杯(G3)と重賞2連勝。“ハットトリック”を超える4連勝のゴールを決めた。だが、その後は重賞で掲示板を確保することすらできない不振に陥った……。
そこから転機となったのがフランスの名手O.ペリエ騎手との初コンビで挑んだ天皇賞・秋(G1)だ。結果的には7着に敗れたが、上がり3ハロン最速の32秒6の末脚で追い込み、勝ち馬に0秒4差まで詰め寄った。手が合うとはまさにこのことだろう。次走のマイルCS(G1)で初のG1制覇を達成し、続く香港マイル(G1)も名手の手綱で優勝したのだ。
この当時、角居厩舎はまだデルタブルース、シーザリオでしかG1制覇を成し遂げていない。また、海外G1となると同年のアメリカンオークスを制したシーザリオに続く2勝目となった。ハットトリックは、今や名門として知られる角居厩舎の礎を築いた1頭である。
引退後、ハットトリックはアメリカで種牡馬生活を送り、2017年からはブラジルでシャトル種牡馬として繋養されていた。産駒が日本に輸入される頭数はあまり多くないため、日本競馬では希少な存在だ。
現在、JRAで競走馬登録されているのはわずか1頭で、エアファンディタ(牡3歳、栗東・池添学厩舎)のみとなっている。
同馬の近走は1勝クラスで2回連続の2着。どちらも父譲りの上がり最速の末脚を繰り出しており、勝ち上がりは目前だろう。
日本の裏側のサッカー王国で他界した父ハットトリックに、エアファンディタが弔いのゴールを決める日を楽しみにしたい。