JRA武豊「単勝1.0倍」できさらぎ賞(G3)を圧勝した悲運の名馬。競馬の神様も「フジキセキ以上の将来性」と大絶賛した開拓者の記憶
杉本アナの言葉通り、スキーキャプテンは、その後日本調教馬として初めてケンタッキーダービーに挑戦。きさらぎ賞からぶっつけで臨むも、14着に敗れた。
その後は順調さを欠いたスキーキャプテン。翌年1月のAJCC(G2)で復帰するも8着に敗れると、このレースを最後にターフを去った。
当時は外国産馬にクラシック出走権はなく、NHKマイルC(G1)が始まったのも翌96年のこと。競馬にタラレバは禁物だが、もし外国産馬にクラシック出走権があれば……。NHKマイルCが1年早く始まっていれば……。フジキセキを追い詰めたあの豪脚から、不運な時代に生まれたと考えざるを得ない。
日本の競馬界にとって当時は未知の領域だった海外遠征。スキーキャプテンの米国遠征の経験を糧に森秀行調教師はその後、シーキングザパールで海外G1制覇の偉業を達成している。
日本調教馬のケンタッキーダービー出走は、スキーキャプテン以後、20年以上の空白があったが、16年にラニ、19年にはマスターフェンサーが挑戦を果たした。
いつの日か日本馬がケンタッキーダービーを勝ったとき、そのときは“開拓者”としてスキーキャプテンに大きなスポットライトが当たるだろう。