JRAメジロマックイーンが思いを寄せた「鉄の女」イクノディクタス!大波乱の安田記念(G1)から28年、「51戦9勝」稀代のオールラウンダー

「平成最強のステイヤー」と呼ばれたメジロマックイーン。天皇賞・春を連覇するなどG1を通算4勝した名馬である。

 そんなメジロマックイーンが古馬になってから全てのレースで手綱を取ったのが武豊騎手だ。20代前半だった武騎手は当時、次のような証言をしたといわれている。

「(メジロマックイーンは)イクノディクタスに想いを寄せていたのでは?」

 メジロマックイーンを虜にしたかどうかはともかく、同じ1987年生まれのイクノディクタスはそのタフネスぶりから“鉄の女”と呼ばれ、人気を博した牝馬だった。

 時代背景はもちろん違うが、前走のヴィクトリアマイル(G1)から中2週というローテーションが安田記念(G1)で不安視されているグランアレグリアとは正反対に、多くのレースに使われたイクノディクタス。2歳7月から6歳11月まで、ほぼ休むことなく走り続け、キャリア通算戦績はなんと51戦9勝。使われた距離は1000mから3200m、札幌、函館、福島を除く全国のターフを駆け巡り、5歳時にはオールカマーと金鯱賞(どちらも当時G3)を制するなど、重賞4勝をマークした実力馬でもあった。

 そんなイクノディクタスが11度挑戦したG1レースで最も勝利に近づいたのが1993年の安田記念だ。世界に開放されて初めて行われたこの年の安田記念。牝馬が1、3、5番人気という上位人気を占めるなか、イクノディクタスは16頭立ての14番人気。5頭いた牝馬の中では最も人気薄だった。

 先頭でゴールを駆け抜けたのはヤマニンゼファー。2番人気に支持され、見事連覇を果たした。そのヤマニンゼファーに次ぐ2着に追い込んだのがイクノディクタス。道中は後方に待機し、直線で内をしぶとく伸びて、大激戦の2着争いを制した。ハナ差の3着にシンコウラブリイ、さらにアタマ差の4着にはシスタートウショウが入り、牝馬が2~4着を占めた。

 2番人気ヤマニンゼファーと14番人気イクノディクタスの組み合わせで馬連の払戻は6万8970円。馬連が誕生してまだ3年目で、当時の感覚では大波乱といえるレースだった。

 ちなみにその年は、3月の日経賞で始動したイクノディクタス。中1週で大阪杯、そこから中2週で天皇賞・春、さらに中2週で安田記念という過酷なローテーションを歩んでいた。安田記念の後は、中4週で宝塚記念にも出走すると、8番人気で2着に入り、ここでも穴をあけた。その宝塚記念を制したのがメジロマックイーンだった。

 その年限りでイクノディクタスは引退。初年度の配合相手には何とメジロマックイーンが選ばれた。初仔キソジクイーンをはじめ中央で勝利を挙げる産駒は出せず、母としては残念な結果に終わったイクノディクタス。しかし、28年前の春に残した爪痕は今もファンの記憶にしっかり残されている。

(文=中川大河)

<著者プロフィール>
 競馬ブーム真っただ中の1990年代前半に競馬に出会う。ダビスタの影響で血統好きだが、最近は追い切りとパドックを重視。

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