JRA“駆け込み”引退した調教師に光る代打起用や出走ローテの妙!? 将来有望視された元騎手の“名采配”がズバリ的中!

 先週末に行われた小倉2歳S(G3)で重賞初制覇を飾ったナムラクレア。同馬を管理する長谷川浩大厩舎にとっても、これが記念すべき初重賞勝利となった。

 当初、ナムラクレアに騎乗予定だった和田竜二騎手は、前日の札幌2歳S(G3)でダークエクリプスの放馬というアクシデントで負傷。急遽、乗替わりとなる中、厩舎を率いる長谷川師が起用した浜中俊騎手が見事、“代打”騎乗でホームランをかっ飛ばした。

 さらにナムラクレアの出走ローテを振り返ると、新馬戦3着のあと陣営が選択したのはオープン特別のフェニックス賞。結果、格上挑戦とは思えないレース運びで未勝利を脱出して賞金を加算して今回の重賞挑戦も叶うなど、同師の“名采配”がズバズバとハマり、開業3年目で初のJRA重賞制覇を達成した。

 1983年生まれの長谷川師は現在37歳。騎手デビューした2003年3月には、史上39人目の初騎乗初勝利を達成。石橋脩騎手や松岡正海騎手ら「乗れる若手」が多いと評された同期の中でも、デビュー年に新人最多の28勝を記録するなど、そのジョッキー人生は前途洋々のように見えた。

 2年目の04年には、同期で重賞勝ち一番乗りとなる福島記念(G3)を制覇。05年フェアリーS(G3)や06年フィリーズレビュー(G2)をダイワパッションとのコンビで優勝したほか、桜花賞(G1)にも出走して16着も、若くして存在感を見せつけていた。

 特筆すべきは、2年目から4年連続でフェアプレー賞を受賞している点だ。05年にはドバイで開催された国際見習騎手チャンピオンシップの日本代表騎手にも選出されて2位に輝くなど、騎乗技術には光るものがあったといえる。

 将来を有望視されていたデビュー当初の長谷川騎手。ところが7年目の09年は年間3勝に終わり、10年、11年ともに12勝止まり。重賞勝ちも先に記した3勝から思うように伸びず、騎乗数も激減するなか、さらに騎手引退へ追い打ちをかけるような想定外の“制度改革”が発表された。

 当時の概要をまとめれば、厩舎の雇用人数に関する“制度改革”であり、人員を削減するというもの。これに対して、自身の今後の騎手としての将来と、雇用が確保されるうちに調教助手になることを秤(はかり)にかけて、決断を迫られたジョッキーが大勢いたという。

 その結果、制度開始前に騎手を引退して、調教助手としてどこかの厩舎に所属すれば雇用は確保されるメリットがある後者を選んだジョッキーが多数発生。事実、当時の長谷川騎手を含めて栗東では14人もの騎手が、2012年いっぱいで“駆け込み”引退している。

 こうした背景もあり、当時の長谷川騎手は12年9月20日付けで騎手引退。もちろん“制度改革”だけが引退理由ではないだろうが、「現状だと、自分の中でプロとしては意味をなさないという思いがあり、区切りをつけることを決めました」とコメント。将来を有望視されながら、実働10年でムチを置いたのだった。

 その後、長谷川師は厩舎開業まで6年も費やすなど、さまざまな経験と苦労を味わった。初重賞を届けたナムラクレアの次走は、11月6日に阪神競馬場で行われるファンタジーS(G3)へと照準を定めた。同調教師は「距離を延ばします。あの(勝利した小倉2歳Sの)感じなら1400mでも大丈夫だと思います」と断言している。

 果たしてこの采配は、再び“吉”と出るだろうか。騎手時代はわずか重賞3勝に終わったが、開業3年目とは思えない“名采配”が再びハマり続ければ、トレーナーとしてその勝利数を上回る日は、そう遠くないだろう。
(文=鈴木TKO)

<著者プロフィール> 野球と競馬を主戦場とする“二刀流”ライター。野球選手は言葉を話すが、馬は話せない点に興味を持ち、競馬界に殴り込み。野球にも競馬にも当てはまる「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」を座右の銘に、人間は「競馬」で何をどこまで表現できるか追求する。

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