JRA「世界のYAHAGI」がもたらしたパンサラッサの快挙! C.ルメールも絶賛した適材適所、「13年間」G1未勝利でもベテラン騎手の起用を迷わなかったワケ
現地時間26日、メイダン競馬場で「ドバイワールドカップデー」が行われ、今年は5頭の日本馬が勝利した。特に矢作芳人調教師は管理馬が3勝する大活躍。昨年ブリーダーズCでの2勝、香港国際競走での勝利に続き、海外競馬での強さをまたしても見せつけた。
日本馬の5勝とも白熱した好レースであったが、中でも矢作師の管理するパンサラッサが勝ったドバイターフは競馬史に残る大激戦だった。
内に逃げるパンサラッサ、中には連覇を狙うロードノース、そして外から猛然と追い込んでくるヴァンドギャルドが横一列になったタイミングでゴールイン。長い写真判定の後、パンサラッサとロードノースが1着同着、ヴァンドギャルドは惜しくもハナ差の3着という結果となった。
見事パンサラッサを勝利に導いた殊勲の鞍上は、46歳の吉田豊騎手。1994年デビューの大ベテランは「本当に嬉しいです」と、自身の海外重賞初制覇に対して感激のコメントを残している。
吉田豊騎手といえば、メジロドーベルとのコンビでG1を5勝するなど「乗れる若手」として売り出したものの、直近13年はG1勝ちがない。また、落馬負傷による長期離脱なども重なり、勝ち鞍も減少傾向にある。なぜ矢作調教師はこの大一番に、海外実績が乏しく近年勢いが見られない騎手を起用したのだろうか。
元々矢作師は調教助手時代の頃から吉田豊騎手とプライベートで仲が良く、会うたびに趣味の競輪で盛り上がっているそう。そんな同師は「将来は調教師になってお前を乗せる」と語ったという。
また、吉田豊騎手は矢作師が調教師試験に合格した際のお祝いとして、同騎手が主戦を務めるリージェントブラフのドバイ遠征に、自腹を切って招待したらしい。この「恩」に矢作師は報いようとした可能性がある。
しかしながら、矢作師はドバイターフの鞍上を決めたことについては「個人的な関係性から(吉田)豊を選んだわけではない」と言う。そして、「直感で騎手を選ぶとき、とくに前に行くような馬の騎手を選ぶときには、自然と豊が選択肢に入ってきます」と、あくまで吉田豊騎手を「逃げ」の名手と評価しているからこそだったと理由を明かした。
世間一般の吉田豊騎手のイメージは「差し」が強いだろう。メジロドーベルや阪神JF(G1)を制したショウナンパントル、マイルCS(G1)を制したブルーメンブラットなどG1勝利の大仕事は「差し」でやってのけたイメージが強い。
だが、意外かもしれないが実は吉田豊騎手は「逃げ」の名手なのである。大阪杯(G2・当時)など重賞4勝したサイレントハンターが有名だが、人気薄での思い切り良い騎乗で逃げ切ったこともしばしば。
2008年の七夕賞(G3)では、7番人気のミヤビランベリで逃げ切って穴を開けた。その他にもメジロマントルでの鳴尾記念(G3)、ケイアイドウソジンでのダイヤモンドS(G3)、ケイアイエレガントでの京都牝馬S(G3)など、大穴馬で逃げ切って波乱を演出している。
特に大逃げに関しては吉田豊騎手の「必殺技」ともいえるほど得意としている。上記以外でも重賞で度々大穴を開ける時は、大抵逃げを選択した場合だ。
パンサラッサと吉田豊騎手の組み合わせに関して矢作師は「本来なら小回りコースが合うのでしょうけど、豊君は(逃げ馬が勝ちにくい)東京の2000mでも勝っている。この馬との相性は抜群と思えるので替える理由がありません」と、あくまでも馬の個性と騎手の個性を見抜いた末の合理的決断であったことを、平松さとし氏の取材で打ち明けている。
競馬の戦法の中でも「逃げ」は特殊な戦法で、昔から増沢末夫元騎手や中舘英二調教師など独特の「逃げの達人」が活躍した。パンサラッサのような大逃げする馬は、有名騎手より「逃げ」を得意とする専門家に任せた方が良いという判断だったのだろう。それが大舞台でズバリ当たったのである。
C.ルメール騎手に「適した馬を適した場所に連れて行く」と評されて、馬についての眼力を誇る矢作調教師であるが、人についての眼力もそれに劣らないくらいに凄いかもしれない。
(文=パッパラー山中)
<著者プロフィール>
皇帝シンボリルドルフの代表産駒トウカイテイオーの舞うようなフットワークに魅せられて競馬を始める。人生で1番泣いたのは前年の大敗から1年ぶりの復活勝利を決めた1993年の有馬記念(G1)。感動のあまり競馬場で泣いて電車で泣いて家で泣いた。馬券はパドック派。今までで1番「こりゃすんげえ馬体」と思ったのはサクラケイザンオー。