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“若武者”横山典弘が味わった苦い記憶。19万6517人の「ナカノ・コール」から待たされた19年の苦節…息子・横山武史は今回で決めたい【競馬クロニクル 第10回】

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若武者横山典弘が味わった苦い記憶。19万6517人の「ナカノ・コール」から待たされた19年の苦節…息子・横山武史は今回で決めたい【競馬クロニクル 第10回】の画像1

 1990年の牡馬クラシック戦線は“三強”の争いと評されていた。

 前年の朝日杯3歳S(現在の朝日杯フューチュリティS・G1)を勝った、シーホーク晩年の傑作、アイネスフウジン
 
 前年10月の未勝利戦から5連勝できさらぎ賞(G3)を制したハイセイコーの子、ハクタイセイ

 初勝利まで4戦を要しながら、400万下(現在の1勝クラス)から3連勝で弥生賞(G2)をものにしてクラシックの権利取りに成功したメジロライアン。

 それぞれに異なる背景を持つこの“三強”がクラシック戦線を牽引する役割を果たしていた。

 なかでも大きな注目を集めたのは、メジロライアンだった。北野豊吉氏が馬主資格を取り、北海道・洞爺にメジロ牧場を開いてブリーディングオーナーになって以来の悲願であるダービー制覇を果たせるのかという点がオールドファンの興味をひいたのは確かだ。

 その上で“若武者”横山典弘が手綱をとることが、よりメジロライアンへの注目度をアップさせていたのである。

 1980年代から90年代への変わり目は、ちょうど”第二次競馬ブーム”の本格的な到来が見えてきた時期である。

 松永幹夫がデビューし、その端正なマスクが注目されて多くの女性ファンを引き付けたのが1986年のこと。いまも現役の第一線で活躍を続ける“リビング・レジェンド”武豊のデビューが1987年。そして、オグリキャップが中央へ移籍して重賞で連勝を始めたのが1988年である。

 当時はまだ“東高西低”の時代だったが、松永、武という若いスタージョッキーの登場に沸く関西に比べると、ことその点では関東が見劣っていた。換言すると、関東のファンの間でもイキのいいヤングジョッキーの誕生を願う雰囲気が醸成されていたのだ。
 
 そこへ躍り出たのが横山典弘だった。

 1986年にデビューし、着実に勝ち星を積み重ねると、キョウエイタップで90年のエリザベス女王杯を勝ってG1初制覇を達成。このとき勝利を確信した横山は、ゴールのかなり手前から右手を突き上げたことから戒告処分を受けるなど、奔放に見える立ち居振る舞いも人気を呼んだ。

 また、父の富雄は騎手時代にメジロタイヨウ、メジロムサシで天皇賞を制するなど、横山家は“メジロ”と浅からぬ関係にあった。富雄の次男である典弘がメジロの馬でクラシックを戦うことは、オールドファンの琴線を大いに震わせたのである。

 一冠目の皐月賞。アイネスフウジンが1番人気(4.1倍)、メジロライアンが2番人気(5.0倍)、ハクタイセイが3番人気(5.6倍)と、近接したオッズでレースを迎える。

 逃げるとみられたアイネスフウジンだが、ゲートが開いた直後、隣の枠にいたホワイトストーンにぶつかられて体勢を崩したため、2番手でのレースを強いられる。ハクタイセイは先団の好位置に付け、末脚自慢のメジロライアンは後方の17番手から追走する。

 馬群に動きが出たのは第3コーナー。メジロライアンが外を通って徐々に位置を上げるなか、アイネスフウジンも先頭を奪って直線へ向く。

 粘りに粘るアイネスフウジンだが、馬群から抜け出してきたハクタイセイがぐいぐいとそれに迫り、クビ差交わしたところがゴール。メジロライアンも終いはよく伸びたものの、進路を失う場面もあって、アイネスフウジンから1馬身3/4離された3着まで追い込むのが精一杯だった。

 そして迎えた1990年5月27日。この日行われた第57回・日本ダービーはさまざまな意味で記録的なレースとなった。

若武者横山典弘が味わった苦い記憶。19万6517人の「ナカノ・コール」から待たされた19年の苦節…息子・横山武史は今回で決めたい【競馬クロニクル 第10回】の画像2
撮影:Ruriko.I

 当日、東京競馬場を訪れた観客は信じ難いことに19万6517人を数え、これはいまだ破られることのないJRA最多入場人員記録である。それと同時に、常識外れなまでの混雑が危険なレベルに達したため、入場券の前売りなどによる、入場規制誕生のきっかけにもなった。

 また売得金も、前年より100億円以上多い397億3151万3500円を記録。これはもちろん当時、破格なレコードとして話題になった。

 人気はやはり“三強”に集まった。
 
 1番人気は横山典弘が乗るメジロライアンだった。オッズは3.5倍。父が天皇賞(3200m)や有馬記念(2500m)を制したアンバーシャダイであり、不利があった皐月賞から転じて、コースが広く、直線が長い東京に舞台を移すことが功を奏すると多くのファンが捉えたが故の数字だった。

 このとき、横山の年齢は22歳3か月。デビュー4年目にして、日本ダービーの騎乗は3度目だった。

 ちなみに戦後の最年少勝利騎手の記録は、1971年の田島良保(ヒカルイマイ)が持つ23歳7か月だったので、もし横山が優勝すると、すなわちそれがレコード更新となる状況であった。

 2番人気には武豊に乗り替わったハクタイセイ(3.9倍)、アイネスフウジンはオッズ5.3倍の3番人気となった。

 レースは横山典弘にとって苦い結果となった。

 中野栄治が手綱をとるアイネスフウジンが先頭を奪うと、自在にペースをあやつりながら後続に脚を使わせる絶妙の逃げを展開。直線に入って後続を突き離すと、外から追い込んだメジロライアンに1馬身1/4の差をつけてゴール。芝コースを引き揚げてくるアイネスフウジンに対して観客から「ナカノ・コール」が沸き起こるなか(これが以降の「○○コール」の原点となった)、敗れたメジロライアンは他の馬たちと一緒にダートコースから脱鞍所へと向かった。

 横山典弘がダービージョッキーになったのは、それから19年後の2009年、ロジユニヴァースでの勝利によってのこと。日本ダービーの騎乗は実に15回目、年齢は41歳になっていた。

 今年の日本ダービーで、1番人気に推されるであろう皐月賞馬ソールオリエンスに騎乗を予定する横山武史。一昨年はエフフォーリアでシャフリヤールにハナ差で敗れるという悔しさを経験しているが、果たして初勝利まで長い時間を要した父を超えていけるのか。

 期待を持って140秒半の戦いに胸を躍らせ、目を凝らしたい。(文中敬称略)

三好達彦

三好達彦

1962年生まれ。ライター&編集者。旅行誌、婦人誌の編集部を経たのち、競馬好きが高じてJRA発行の競馬総合月刊誌『優駿』の編集スタッフに加わり、約20年間携わった。偏愛した馬はオグリキャップ、ホクトヘリオス、テイエムオペラオー。サッカー観戦も趣味で、FC東京のファンでもある。

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