元JRA安藤勝己氏「令和」でオグリキャップ心情吐露。平成の伝説を経て新時代へ
「安藤さんは後年、インタビューなどでJRAでのオグリキャップの活躍に対して、『あまり気にならない』などと話すことも多かったようです。当時、地方競馬とJRAには、今以上の大きな壁が立ちふさがっていて、笠松競馬場の騎手であった安藤さんがJRAのG1などで騎乗することは事実上不可能でしたからね。無念ではあったものの、それを表に出すことはしなかったのでは?
その安藤さんのオグリキャップへの本音がこぼれ出たのは、2010年に同馬が急死したときだったように思います。当時『日刊スポーツ』にオグリキャップが移籍後も『ジョッキーだけでも継続騎乗できないか』とJRAに申し入れたと明かし、また同馬のJRAでの活躍を『そりゃ、悔しかった。でも規則だから仕方がない』と話していました」(競馬記者)
その後、1995年にはさまざまな制度が改革され、地方在籍でもJRAの重賞にチャレンジできるようになった。このふたつが歩み寄りを見せた理由のひとつに、『オグリキャップが地方在籍というだけでJRAのクラシックに参戦できないのはおかしい』と考えたファンの声もあったといわれている。
オグリキャップでのJRA重賞制覇は夢に終わった安藤氏だが、交流元年といわれる1995年にライデンリーダーでJRAの桜花賞、さらにオークスに挑戦。その後も、地方競馬の騎手ながらJRAの重賞に果敢に参戦し、2003年についにJRAに移籍を果たした。
安藤氏は移籍後すぐに、ビリーヴで高松宮記念(G1)を制覇し、その後もキングカメハメハで日本ダービー、ダイワメジャーで天皇賞・秋、さらにブエナビスタでオークスを優勝するなどG1競走で22勝。JRAで通算1111勝をあげた。
地方とJRAの垣根を超えて活躍したオグリキャップと安藤氏。このコンビがなければ、今の競馬界はなかったのかもしれない。令和の時代にも、このようなコンビが誕生してもらいたいものだ。