「武豊の父」ターフの魔術師・武邦彦氏が死去。騎手として、調教師として、父親として競馬界を引っ張ったレジェンド

武邦彦氏(M.hiranoより)

 現役時代、「ターフの魔術師」として競馬界を沸かせた元騎手、調教師の武邦彦氏が亡くなった。77歳だった。

 邦彦氏は1957年に騎手デビューし、JRA通算7679戦1163勝。日本ダービーをロングエースで制するといわゆる「八大競走」の常連となり、関西を代表する騎手の1人として活躍。「天馬」と称され、テンポイントと激闘を繰り広げたトウショウボーイとのコンビでも有馬記念、宝塚記念を制するなど、競馬ファンの視線を一身に集めた。

 172cmという身長や洗練されたルックスで女性からの人気も高く、家族サービスにも熱心で騎手像を大きく変えた存在の一人としても知られた。特にその「品」を高く評価する声も多かったようだ。

 現役引退後は調教師としてバンブーメモリーやオースミタイクーンを管理したが、調教師デビューとなったのは、自身の三男にして後に競馬界の「顔」となる武豊騎手のデビューと同じ年。バンブーメモリーでは親子コンビでスプリンターズSなどビッグレースも制している。

 その後も弟の武幸四郎騎手がデビューし活躍するなど、兄弟の活躍によって父である邦彦氏もたびたびクローズアップされることとなった。

 邦彦氏の騎手時代の競馬は「東高西低」。関東競馬のほうが強力だったこともあるのか、全国リーディング騎手は一度も獲得していない。時代が時代ならもっと勝てていた、という声も非常に多い名手だった。

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